【都会の秘境鉄道】忘れ去られた鉄道路線・南海汐見橋線の始発駅「汐見橋駅」を見物する

大阪市内に数ある鉄道路線の中で、最も乗降客数が少なく最も存在がマイナーな「南海汐見橋線」。正式には南海高野線の一部だが、高野線から線路を分断されて完全な支線として運行されている汐見橋-岸里玉出間全長4.6キロの路線は、日中30分に一本だけ、二両一編成の電車がピストン輸送するだけの「都会の秘境鉄道」として今なお現役である。

その始発駅となる大阪市浪速区の「南海汐見橋駅」のホームを11年ぶりに訪れた。当サイトでは2007年にこの駅や沿線風景を伝えたレポートを公開したが、さすがに10年以上も経って写真のリンクが途切れたり当時の文章が稚拙だったりと色々アレな感じになってしまっているので、改めて書き直したい。

「南海汐見橋線」とは何なのか

日本最古の私鉄会社である南海電気鉄道の一路線にあたる「南海汐見橋線」は明治33(1900)年に開通した高野鉄道(南海高野線の前身)時代からの歴史があり、その始発駅となる汐見橋駅は開業当初駅名を「道頓堀駅」としていたが、この当時から道頓堀というのは現在の道頓堀商店街付近の繁華街を指す地名であり、その繁華街から外れた当地にはその駅名がそぐわないという事でその翌年に今の駅名に改められている。

昭和60(1985)年までは南海高野線の一部として、岸里玉出駅から先の高野線にも直通する電車も行き来していた頃もあり、南海本線のなんば駅と並ぶターミナル駅の一つとして使われていたものが線路がプッツリ分断されてしまい、今に至るまで「都会の秘境鉄道」として独立して運行している。

汐見橋駅ホーム1番線に入線する汐見橋線車両。始発は6時10分、最終電車は22時45分まで1日33本の電車が岸里玉出駅に向けて発車するが、その殆どが1番線からで、隣の2番線は滅多に使われる事がない。運行ダイヤは平日・土休日の区別こそあれども、発車時間は全くの同一で、朝夕のラッシュ時間帯に伴う増発列車の設定もない。

二両一編成でしか運行していない汐見橋線車両「2200系」は昭和45(1970)年に大阪東急車輛(旧帝國車輛工業)で製造されたものがそのまま使われている。駅舎どころか車両までレトロっぷりが容赦ないのが汐見橋線なのである。同型車両は同じ南海電車の支線である高師浜線や多奈川線でも活躍している。

とっくに存在していない古いパチンコ屋の広告が張り付いたままの駅のベンチがこれまた味わい深い。南海電鉄も長年放置プレイを容認している稀有な鉄道路線であって、全国的に見ても異質な存在である。都会のど真ん中でド田舎のローカル駅巡りをするかのようなレトロ感が味わえるのは汐見橋線を除いてそうそう他にない。

新線計画「なにわ筋線」からも外された汐見橋線に未来はあるのか

この汐見橋線、今でこそ存在意義がとうに失われ、いつ廃線になるのかといった状況となっているが、なかなか廃線決定にならない訳があったようで、大阪市内を南北に縦断し、南海電鉄を含めたJR・私鉄の鉄道各社および大阪府・大阪市が公表している「なにわ筋線」の新線計画があり、そこに汐見橋駅が含まれていたからだとの説もある。

当初の計画では南海側では汐見橋駅を経由してなにわ筋の地下を北上し、現在JR大阪駅北側の「うめきた」エリアに建設中の北梅田駅に接続するものが、国交省の試算で「汐見橋よりも難波経由の方が採算が取れる」との事で、難波駅近くの旧「新歌舞伎座」付近に新設する予定の「南海新難波駅(仮称)」経由で新線建設する方針に転換され、とうとう汐見橋線はハシゴを外される始末。こうなったら、いつ廃線されるか分かったものではない。

阪神なんば線開業以降、実は乗降客数がV字回復している「汐見橋駅」

この通り「泣きっ面に蜂」な感じがする汐見橋線であるが、悪い事続きというばかりでもない。2009年3月に「阪神なんば線」が開通し、阪神桜川駅が汐見橋駅真ん前の千日前通の地下に新設され、汐見橋駅のボロ駅舎のすぐ隣に「阪神桜川駅」のエレベーター付き地上入口が併設されるようになった。

この事で従来千日前線桜川駅から汐見橋線に乗り換えていた客が便利な地下通路を経て殆ど地上を歩く事なく阪神なんば線や千日前線から乗り換え可能になった事で同駅の乗降客数がV字回復、最も少なかった2006年の330人から、2015年には576人まで増えている。しかし一日三桁だと完全に地方の無人駅のそれっすよね…

汐見橋駅と言えば改札上の「南海沿線観光案内図」が名物だったが…

激しい戦災によって、広大な貨物ヤードを含めた初代の駅舎が全壊した後、昭和31(1956)年に再建された当時のまま使われている汐見橋駅駅舎。その改札の上に掲げられている巨大な「南海沿線観光案内図」の看板がこの駅の名物でもあった。

この観光案内図は昭和30年代のものがそのまま残されているという、ある意味貴重なものでもあった。当時の観光名所や交通網、幻となった鉄道路線までもが事細かに記載され、大阪や和歌山どころか紀伊半島全域や淡路島、四国東部まで書き込まれている珍しい地図である。

これを写真に収めた2006~2009年当時でも案内図の図面がボロボロに朽ち果てそうになっていて、見た目にも随分凄まじい事になっていた。

2014年3月訪問時には、案内図の中央部分の剥離が進んで裏の木枠が見えるなどしてかなり危険そうな状態になっていたのを確認している。

遂には「落下の恐れがある」として2016年3月に案内図が撤去されてしまい、この通りの状況となった。案内図は廃棄される事となったと一旦は報道されるも、後日行われたイベント「南海電車まつり」で古地図と称され一枚2000~5000円で「切り売り」されていた事が当日イベントを訪問した人々のツイッターなどから判明。

文化財的価値も高いものだと言われているのに鉄道会社としてやる事がお粗末だと非難を浴びる一方、損傷が激しく修復が困難で本来は廃棄していたものをこういう形でも残す方が良かったのでは、という声もある。簡単にでもビニールテントか何かで包んでいたらもっと長持ちしていたかも知れないんですが、やっぱり鉄道会社としてそれほど重要視していなかったのだろうね。


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DEEP案内シリーズ管理人。大阪ベイエリアの貧民窟育ち。独自のひん曲がった視点で街歩きを続けております。2008年より上京。関西に留まらず全国、海外に取材対象を薄く広く伸ばして来ました。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。
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