【和泉市】阪和線に揺られて行く大阪泉州の隠された桃源郷「信太山新地」

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いわゆる「大阪五新地」の一つ、ちょんの間地帯「信太山新地」はJR信太山駅近くの何の変哲もない住宅街の中に突如として現れる。信太山新地の歴史は戦時中からあったそうだが詳しい歴史資料に乏しく具体的な経緯は不明な点が多い。戦後の赤線時代を経て今の形になったそうだが以前は八坂新地とも言われていて、さらに大昔から熊野街道の道中にある精進落としの遊郭として栄えていたとの話もある。

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信太山新地の入口にある防犯標語の看板が場の雰囲気にはミスマッチ過ぎて笑えてしまう。パチンコ屋が防犯標語を掲げているのと同じ感覚なのか。売防法が横たわる戦後史の中で築きあげられた暗黙のルールかも知れない。

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「ほんまにええの?その振り込み!!」大阪府警が街中に貼りつけているポスターや垂れ幕にも同じ文言の標語が見られる。

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信太山新地の内部は100メートル四方程度のごく僅かな面積しかないがそこに50軒以上もの「旅館」が密集しまくっている。新地の営業と無関係な家屋が紛れていたりすることは一切なく、路地を入ると完全に別世界である。

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新地の北側には昔の遊郭の名残りを留めた純和風の妓楼が整然と立ち並ぶ一方で南側の細い路地には場末のスナックのような小屋や小規模旅館が固まっていて一見すると普通の一軒家風だったり、モルタル壁のボロアパート風だったり、逆にちょっとオシャレっぽい洋風だったりと色々特徴が異なる。

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非常に重要なのが信太山新地独自のルールで「毎月20日休み」というのがある。これは土日であっても変わる事がない。旅館が一斉に休業する一方、休みと知らずに訪れて途方に暮れる男どもを裏で客引きするババア(これを裏信太というそうだ)がいるらしい。一応、カレンダーをチェックしてからの訪問をお勧めする。

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新地の中の路地は非常に狭く、営業時間帯の車の進入は100%無理である。よって利用者は車でひやかすだけという事は出来ず、必ず近くの駐車場を利用する事になる。

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「旅館」に限らず新地内にはスナックや居酒屋なども点在している。規模的には飛田や松島に劣るがそれでも結構でかい。信太山の場合は遊び相手を選ぶにも結構骨を折る。

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…というのも、信太山の場合は飛田や松島のような「顔見せ」が一切なく、玄関口にいる呼びこみのババアに好みのタイプを聞いて「置屋」から呼んでもらうという方式を取っているのだ。

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こんな辺鄙な場所だが営業時間帯にやってくると客も呼びこみもにわかに過熱して繁盛を見せる。人気の理由は「とにかく安い」からだ。15分7500円で全て済んでしまうというのが庶民的過ぎる。ただ顔見せが無いので、所々男どもが街頭に立ってお気に入りの嬢を見つけて後をつける為に店の出入りを見張る「男立ちんぼ」が出現するが、これは新地内では無粋な行為とされる。

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そんな信太山新地の奥まった所に小さな神社があった。昔からの新地関係者の信仰を集めている神社であるに違いない。

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石鳥居の上の額には「白瀧八大龍王」とある。新地内にはこれ以外に信仰の場らしきものは見当たらない。

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神社拝殿横には「信太山新開地五十五周年記念」と書かれたたいそうな石碑が置かれており関係者の氏名が刻まれている。新地じゃなくて「新開地」とあるが同じ意味だ。これが唯一信太山の歴史を語る物証である。今から半世紀遡れば「戦後」に辿り着く。恐らくその時期から今の業態を続けているものと思われる。

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DEEP案内シリーズ管理人。大阪ベイエリアの貧民窟育ち。独自のひん曲がった視点で街歩きを続けております。2008年より上京。関西に留まらず全国、海外に取材対象を薄く広く伸ばして来ました。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。
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