戦時中、アジア最大規模と言われた軍事工場「大阪砲兵工廠」があった現在の大阪城公園東側一帯。終戦前日、昭和20(1945)年8月14日に行われた米軍による集中爆撃で壊滅し、荒れ果てた焼け跡と化した広大な砲兵工廠の敷地に残された金属類を、不発弾の恐怖と戦いながら回収しそれで生計を立てていた「アパッチ族」と呼ばれた在日朝鮮人集落が存在していた。梁石日氏の小説「夜を賭けて」にもリアルに描かれている在日の戦後史、それが平成現代社会の大阪においても細々と続いているという「アパッチ部落」の流れを汲む土地があるというので見に行った。
その場所とはJR大阪城公園駅のすぐ北側、平野川(第二寝屋川)を渡ったすぐ先にある一帯という事でかなり駅からも近い訳ですが、この大阪環状線の線路は戦後の当時「城東線」と呼ばれていて、アパッチ族はこの線路を伝って砲兵工廠跡に忍び込んでいたともいう。
大阪城公園や大阪ビジネスパークがある側はすっかり綺麗になってしまっているが、玉造筋を挟んだ東側は一転して放置プレイな町並みが広がっている。弁天橋北詰交差点から環状線のガード下を潜っていく歩行者専用のアプローチがある。それがかつての「アパッチ部落」へ続く道だ。
しかししばらく見ないうちにこの一帯も不法占拠状態の私物がかなり片付けられて、随分とスカスカ状態になっていた。占用を防ぐ為にフェンスが立て掛けられていて、その中は雑草が伸び放題になっている。
確か記憶ではこの場所に「鐘」という喫茶店があった気がするが、もう跡形もない。頻繁に頭の上をオレンジ色の車体を持つ大阪環状線の車両が駆け抜けていく。
ガード下を縫うように伸びる細い路地。だいぶスカスカになったけど雰囲気は相変わらずドヨーンとしてますよね。何度もカクカク折れ曲がっていて真っ直ぐ歩けないが、そんな場所でも大阪人はチャリンコに乗ったままササーっと行き来するのである。つまり大阪人は気が短いのである。
恐らくJR西日本によって高架下の耐震補強工事でも行っているものと思われるが、これが終われば綺麗に片付けられてしまうのだろうかね。桜ノ宮の龍王宮みたいに。
頭上を走る大阪環状線は、東京で言う山手線に類するものだと考えそうになるが全く似て非なるもので、都市の動脈と呼ぶにはやや貧弱な存在だ。一周すれば様々な「戦後の残照」が拝めるレトロトリップ路線である。不法占拠バラックに高架下建築に釜ヶ崎に、様々と…
せせこましいガード下を潜って向こう側へ抜けてきた。まだこっちは不法占拠物件と見られる小屋が辛うじて残されている。空き家っぽいけどね。
小屋はまあ、ただの空き家っぽいしどうってことないんですが、気になるのがここ。僅か1メートル四方の土地にブロック塀と簡単な構造のドアとトタン屋根が取り付いた、物置小屋のような構造物…いや、かすかに臭うんですが…もしや…
気になってしょうがなかったので、これまた簡単に釘と針金で止めてあるだけの簡易的な錠前を外して中をお邪魔させていただく事にしよう。
針金が錆びついていて微妙に外しづらかったが、思い切ってドアを開けると現れたのは…なんとボットン便所ではないか。紛うことなきボットン便所!!下水道普及率99.9%を誇るこの大阪市内にまさかこれがあるとは思わなかったぞ。結構まだ利用者がいるらしく、リアルに臭い。
ちなみにこの便所、JR側から通告の張り紙がベッタリ貼られていて、明らかに不法占拠物件であると分かる。近いうちに強制撤去されるかも知れんな。見るならお早めにどうぞ。
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