天王寺駅前・昭和レトロ最後の聖域「天王寺駅前阪和商店街」

大阪市天王寺区

阿倍野再開発事業で誕生するショッピングモール、そして近鉄の超高層ビル計画、そして次々と街から追い出されるホームレス。急速に街が漂白されていく感のある大阪第三のターミナル「天王寺」。

天王寺駅北口に降り立つ。もはや昭和の残滓は殆ど消え掛かったこの街だが、それでも戦後の面影をしぶとく残すアーケード商店街が目の前に口を開けているのを見にやってきた。「天王寺駅前阪和商店街」である。再開発によって「あべの銀座商店街」が消えてしまった今、天王寺駅前に唯一残る昭和の残滓とも言える物件だ。

天王寺駅北口の谷町筋、玉造筋に囲まれた区画が天王寺駅前商店街となっているが、その内側の路地に張り巡らされたアーケードが阪和商店街となる。阪和線のホームに近いためこの名前がついた。

現在は居酒屋が控えめに立ち並んでいる程度の商店街だが、戦後の闇市が発祥というだけあって雰囲気が凄い。すっかり黄ばんだアーケードの屋根から漏れる光が、いつも商店街の中を黄土色に染めている。

中には何十年もほったらかされたかのような雀荘の廃墟が崩落防止用のネットを被せられてそのままになっていたりとカオスっぷりが凄い。


鶴橋駅前の商店街に近いノリだがこちらは嘘みたいに寂れてしまっており死にかけの老人のようなテンションである。だが取り壊しが進められる事もなく、時が止まったままの姿を長く留めているのだ。

数ある居酒屋の中でもポスター貼りまくりでインパクトの強い「種よし」。場所柄にぴったり収まった立ち飲み居酒屋。種子島のポスターがあるのは店名と関係あるのだろうか。

夜になると控えめに赤提灯が吊り下げられ、ここが飲み屋横丁となっている様が見られる。場末のマニアックな酒場ばかりかと思いきや、酔虎伝というチェーン系居酒屋もある。

車も通れぬ細い路地裏のようなアーケード街は途中で微妙に蛇行しながら谷町筋へと抜ける。

たまたま正月に来たのでゴーストタウンさながらだったが、いつもであれば夕方には学校帰りの学生が、晩には仕事帰りに一杯やりたいサラリーマンが街を徘徊する。

立ち食いそば屋の脇が谷町筋側の入口。傍目に見るだけでは入りづらい闇の世界である。

谷町筋方面から入ると南北二本のアーケード街が50メートル程並行している。現役の店はすべからく居酒屋ばかりだが、本来は菓子問屋や玩具問屋が多い商店街である。

戦後から続くという玩具・菓子問屋の一つ。まさに時代に取り残されたという表現しか思い浮かばない。買い物客の姿もなく、それぞれの店舗も総じて商売っ気がない。

それでも店先に大量に並べられた駄菓子や玩具などの商品の数々を見ると、ここが商店街として栄えていた面影を感じさせる。鶴橋に行くと似たようなノリの店がまだ残っているが、天王寺の阪和商店街は一足先に消えてしまいそうな予感がする。

南北二本のアーケード街の間は時折こうして通り抜けが可能となっている。天井が低くなっているが建物が繋がっているからだろうか。天王寺の路地裏に潜むプチ九龍城砦。

店の脇に大量の一斗缶が置かれたままになっている。夜は人通りも消え、ただでさえ怪しい雰囲気がさらに濃密になる。

別の店先にも陳列棚に錆び付いた一斗缶が積み上げられていた。もう何年もこのままで放置されているので、おそらく店主も居なくなってしまったのかも知れない。

一応公衆トイレも用意されているらしく古びた案内看板が掛かっている。使うのにはちょっと勇気が要りそうだけど、トイレのドアにはピースボートのポスターがベッタリ貼りつけられていた。

現在この商店街で現役の菓子・玩具問屋は3、4軒程度だそうだ。昭和30年代くらいのリアルな風貌の菓子問屋ワタナベ。建物はもちろん外装や営業スタイルも、どう見ても当時のままである。

戦後の食糧難からようやく砂糖が出回った頃、ここに沢山の飴屋・菓子屋が出来た事が阪和商店街の始まりで、奈良や和歌山方面から買い出しに訪れた人々で繁盛したという。どうしても天王寺と存在が被る東京上野のアメヤ横丁と似たような経緯だが、安物買いの庶民でごったがえすアメ横とはどえらい違いだ。

谷町筋へ出ると、そこは四天王寺への参拝者で賑わう天王寺駅前商店街となる。昼は健全そのものだが、夜となると立ちんぼババアがそこかしこでスタンバイするという裏事情は昔も今もそれほど変わっていない。向かいには茶臼山町のホテル街が立ち並ぶ。


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