かつて“西の心斎橋筋”と呼ばれていた、寂れた繁華街「九条商店街」(2007年)

大阪市西区、地下鉄中央線九条駅前に、かつては「西の心斎橋筋」と言われるまでの賑わいを見せていた「九条新道」という通りがある。

九条という地名については、周りに八条も十条もないのになぜ九条だけが?という疑問が沸き立つ。地名の由来は京都の九条から来ているというがどうも正確な話ではないようだ。元々の地名を漢字で書くと「衢壌島」(くじょうじま)と表記され、これがあまりに難しい字なので「九條島」に改められたという説が有力。

今でこそ寂れきった街だが、九条エリアは、近代大阪の発展の基礎を担ってきた街でもある。
近くには、明治時代に整備された川口外国人居留地と、大阪府発祥の地で初めて府庁が建設された江之子島もある。九条は、そんな明治時代から続く大阪の下町として、こう見えても長い歴史を秘めている。

今では何の変哲もないただの下町の商店街だが、明治時代以前、川口に港があり外国人居留地があった頃からこの辺り一帯には商店が立ち並び、大阪有数の繁華街として成長を続けていた。地下鉄九条駅がある中央大通りを境に西九条方面に伸びるのが「キララ九条商店街」。こちらは道幅が狭く地元向けの食料品店などが多く生活感漂っている。

京セラドーム大阪、千代崎方面に伸びる道幅の広い商店街が「ナインモール九条商店街」である。この二つの商店街を総称してかつては「九条新道」と呼ばれ、その端は安治川を跨いで此花区の西九条に通じる。九條島が安治川の開削工事で東西に島が分断され、その名残が「西九条」という地名に残された。

ナインモール側は辛うじてかつての繁華街の名残りを留めている感じがするのは無駄に立派なアーケードがあるからか。しかし今となっては中心繁華街の賑わいからは取り残されてしまった。

ナインモール商店街の方は、大阪ドームオープン後の1997年から、当時の近鉄バファローズの本拠地移転以降、商店街を通称「バファロード」と名付けてドームへの来客目当てに大阪ドーム型シュークリームやら色々便乗賞品を販売していたようだが、今度は2001年にUSJがオープンするとそっちにも便乗して色々売り出していたとの話もある。

ナインモール九条商店街の一角にある、一軒の廃業した店舗。「古谷安楽堂」という仏壇屋の跡なのだが、ここは一部の人間にはよく知られている、90年代のテレビ絶頂期に全国放送された「たけし・さんまの世界超偉人伝説」で紹介された大阪ミステリー物件。「仏壇が一つも売れへん」ので、代わりに野菜や果物や雑貨品を並べてみたら、それが売れ、以後はコンビニ状態になるという、奇妙な風景を見せていた。いつも店の表にはおばあちゃんがチョコンと座っていて、買い物客や通りすがりに仏壇を買わせようとする涙ぐましい姿があった。

かつての九條島の東西を往来する「源兵衛渡」があった安治川には、船舶が通るため橋を架けることができなかったため、日本で初めての海底トンネル「安治川随道」が掘られ、戦前から市民の足として使われている。

九条は商人の町であると同時に、鉄鋼業の町でもある。新道から路地に外れると、そこかしこに個人・零細経営の小さな鉄工場が点在し、今なお鉄の匂いを町中に漂わせている。九条の街にはそういった工場で働く労働者が多く住んでいて、彼らの日頃の鬱憤を晴らす店も多く立ち並ぶ。

立ち飲み居酒屋やスナックが密集するアルコール臭い街並み、そして最も象徴的なのが、飛田と並ぶ現役の一大遊郭「松島新地」と関西屈指の名門「九条OS劇場」(廃業)。九条は至れり尽くせりの「欲望の街」でもある。

しかし今、時代の流れとともに急速に街は高齢化している。高度経済成長期にこの地に移り住んだ労働者達は年老いて、町工場もかつての勢いを失っている。商店街を歩くのも爺さん婆さんばかりが目立つようになっていた。


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DEEP案内シリーズ管理人。大阪ベイエリアの貧民窟育ち。独自のひん曲がった視点で街歩きを続けております。2008年より上京。関西に留まらず全国、海外に取材対象を薄く広く伸ばして来ました。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。
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