【昭和遺産】東大阪市・鴻池新田駅前の激廃れレトロ市場「鴻池商店街」を見物する

今回やってきたのは、京橋から「JR学研都市線(片町線)」に乗った先にある東大阪市の「鴻池新田」という街だ。そう言えばこの沿線、特によそからわざわざ来るきっかけも少ない街ばかりで、当サイトでもほとんど触れてこなかったわけですが…

京橋から4駅離れた鴻池新田駅で降りて駅の北側に出る。JR学研都市線は東大阪市の北西部を掠めて走る形になるが、大阪市鶴見区や大東市の境にも近い。先に触れた鶴見区の中国人朝市に向かうにも、この駅が一応の最寄り駅の一つとなる。

駅前からそのまま北側に伸びる道沿いに歩いていきましょう。駅の北側は「東大阪鴻池商店会」だそうですが、それほど栄えた感じもありません。鴻池新田は駅の東側が栄えているが、その他は微妙である。この道なりにちょっと歩くと寝屋川(一級河川)があり、その先は市境を跨いで大東市諸福に入る。

DEEP案内読者の皆様方もよくご存知であろう、鶴見区の中国人朝市は日曜の午前中しかやってないし、それを除けばこの何の変哲もないビミョーな感じの街に何があるかと申しますとですね、橋の手前のところでちょこっと左の路地に折れるとヨロシアルネ…

鴻池新田駅前の昭和レトロ遺産「鴻池商店街」

そこにも何の変哲もない住宅地が…と思っていると、そんなところで突然現れるのが昭和感満載の市場の残骸である。左手側に見える建物がそうであります。さてここは…

その名も「鴻池商店街」!なんというか、ちょっとやそっとの昭和感ではない凄まじい佇まいの建物である。その入口の様子から見ても既に商店街としての役目はとっくの昔に終えてしまったものと判断できよう。

しかも驚くことに商店街の看板が「木製」で、よくよく見れば適宜の長さに切った木片を張り合わせて構成された字となっている。昭和レトロマニア界隈には既に有名な物件らしいですが、建築年代のほどは今ひとつ不明である。

早速、廃れまくり状態著しい鴻池商店街の中に足を踏み入れる。そこはかつての商店主だった住人がひっそり暮らしているだけの空間だ。ただの一軒も営業している商店は存在しない。買い物客はおろか人っ子一人見かけない。

この古臭さ極まる東芝の看板を見ると、おおよそ昭和30年代頃に作られたものと見ても良いだろう。「東芝リンクストア」という表記がポイントである。しかしこの市場自体はそれ以前からあった可能性も高い。

全ての店はシャッターが閉まったまま、商店街としての姿をそのままに留めている。関西もあちこち廃れ市場が残っている箇所があるが、例えば尼崎市の出屋敷中通りのようにアーケードを取っ払ってしまった市場もあったり、年代と共にその姿も失われていく事が多い。

この市場もそのまま老朽化するに任せて放置状態になっているものだろうか、いずれ台風などで建物が壊れたりするのをきっかけにして、ひっそり解体して終わるパターンが見えてくる。

ちなみに最寄りの鴻池新田駅が開業したのは明治の終わりのこと。それ以前は目の前を流れる寝屋川の河川流通が要だった土地で、川沿いのこの一帯に古い市街地があるのはそういう事情からか。

まあ、これだけ古い佇まいともなると戦前から存在していた市場かも知れなかったですけど、どうなんでしょうね。地元のお詳しい方からの情報をお待ちしております。

全長30メートルそこそこしかない、まさしく地元民のためのローカル過ぎる市場。端から端まで通り抜けて振り返るとこの通り。

鴻池商店街以外にも、この周辺には古い佇まいの商店をちらほらと目にする。気になって国土地理院の昔の航空写真を引っ張り出して見てみると、駅の北側から寝屋川までのこの一帯に古くからの市街地が形成されているのが確認できる。なお、駅の南側を見ると江戸時代からの歴史がある鴻池新田会所跡以外は田畑が広がっているばかりだ。

既に商売を辞めてしまった「紳士用品・肌着」の店の看板も「作業服大廉賣」と堂々旧字体が使われている。素通りされてしまうようなローカルな駅前にひっそり残る昭和遺産の風景でした。


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DEEP案内シリーズ管理人。大阪ベイエリアの貧民窟育ち。独自のひん曲がった視点で街歩きを続けております。2008年より上京。関西に留まらず全国、海外に取材対象を薄く広く伸ばして来ました。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。
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