大阪市の東南端に位置する平野区。今でこそマンションや民家が立ち並び、すっかり住宅街に様変わりした場所だが、高度経済成長期以前の昔に遡れば、平野の中心街である「平野郷」を除けばほとんど田畑しか広がっていないような田舎でもあった。
その平野郷の成り立ちは歴史が古く、平安時代にまで遡ると言われている。戦国時代には郷の周りを二重の濠と土居を築き、外敵からの侵入から身を守ったという。平野郷は小規模ながら自治都市として存在していたのだ。
平野郷は数多くの豪商が住み、商業都市としての様相を呈していたと言われる。平野の豪商は時の権力者とも交流が盛んだった。江戸時代には綿花の集積地としても栄え、それは今になって平野区の「区の花」に指定されている。
そして、かつての大阪大空襲においても平野郷はほぼ被害を受けずに残ったため、現在でも江戸時代に建てられた町家が並び、古い街並みを今でも温存している、大阪市内でも珍しく貴重なエリアである。
そんな平野郷の中心を東西に貫く商店街。2つ連なっている「平野中央本通商店街」と「平野本町通商店街」。
大阪によくあるような、パチンコ屋だらけのいやらしい雰囲気は全くない、珍しく純朴な商店街なのだ。
商店街入口にある「あめ嘉」は、400年の歴史を誇り、太閤秀吉も口にしたと言われる「攝州平野飴」を作る老舗の駄菓子屋として今でも営業を続けている。
「あめ嘉」の店内にお邪魔してみる。中に居るのは店番をしている2人の婆様だった。古い店構え、そして売られている飴やお菓子の数々も、昔そのままのものである。
のっけから一升瓶入り「ひやしあめ」を勧められたが、車で来てた訳ではないので買えませんでした。杭全神社の祭りは7月だった事、祭りで行われる「平野のだんじり」は岸和田に引けを取らない事、それから平野郷のパンフレットまで頂いた上で色々教えて頂いた。これまた純朴な味の「平野飴」(300円)をお土産に、店の婆様に礼を言ってから後にした。
凄まじく懐かしい匂いのする商店街、それでいて昔の気品を漂わせる。平野郷は大阪に残された最後の「大坂」なのかも知れない。
戦時中は空爆の被害もなかったため、このように江戸時代から残る町家があちこちに見られる。私の地元の港区とは大違いやなあ。
平野郷では朝日新聞販売店までもが、ご覧の通りのモダン建築である。店の看板に掲げられた電話番号がまた歴史を感じさせる。昭和49年7月に分区される以前は東住吉区だった。
平野郷マップ。現在でも、戦国時代に作られたという環濠の跡があちこちに残っている。本気で歴史探訪を試みるなら一日がかりで歩き回ることになるだろう。一日動いて腹が減れば、夕食には築400年を誇る平野郷の豪商の屋敷を使った「がんこ平野郷屋敷」で食べるもよし。
参考ページ
全興寺HP
おもろいで平野
平野郷を歩く
古い町シリーズ 「平野郷」|K’s PLAZA
サンアレイ 平野本町通商店街