【枚方市】旧陸軍火薬工場跡、郊外型団地の先駆け「香里団地」を歩く

大阪府枚方市の南西部、香里ヶ丘には昭和30年代に造成された大規模郊外型団地の走りとなった「香里団地」という場所がある。以前から気になっていたが、今回ようやく来られる機会を得たので、京阪バスに揺られて颯爽とやって参りましたよ。

香里団地への唯一の公共交通機関は京阪枚方市駅もしくは香里園駅から出ている路線バスである。同じ枚方市でも中心部からはかなり外れていて、団地のすぐ西側は寝屋川市で、鉄道駅は同市に属する香里園駅の方が近く、交通安全祈願で有名な「成田山大阪別院・明王院」なんかも割と近所にある。

寝屋川中1殺害の山田浩二被告が幼少期を過ごした香里団地

この香里団地を訪れたきっかけは、2015年夏に起きた「寝屋川市中1男女殺害事件」の犯人である山田浩二(旧姓・渡利)がこの香里団地出身で幼少時代を過ごしていたというニュース記事を見て、どのような場所か気になったからだ。事件から相当年月が経ち忘れ去られつつある出来事だが、この犯人の異常性は類稀なるものであり、その萌芽の発端が少しでも分かれば、という思いもあった。

しかし実際の香里団地の様子を見てみると、それまで抱いていた勝手なイメージとは裏腹に、既に真新しい高層棟や並木道が立ち並ぶ、雰囲気の良い団地である。昭和33(1958)年に街開きしてから既に60年の歴史がある。古い団地は続々取り壊され、真新しいものに建て変わっているのだ。

山田浩二被告の年齢を考えると、香里団地からは小学生のうちに引っ越したという事から既に35年以上も前の話である。それから団地の町並みは大きく様変わりしているはずで、その頃の面影を探すのは難しい。

団地のメインストリートには万代スーパーやら何やら商店が連なる一角もあるが、いずれも真新しい店構えで開放的な雰囲気がある。「団地」という言葉から連想される昭和の貧しさとは無縁そうな地域だ。

ちょっと高級感漂うピーコックストア(近年イオン系列になってしまった)まであって、枚方市民の購買力を物語るかのような店舗のラインナップ。ちなみにこのピーコックストア香里ヶ丘店は「大丸ピーコック」時代から続く同店舗の第一号店である。香里団地の誕生とほぼ同時期の昭和35(1960)年から店舗がある、それはそれは超がつく老舗のスーパーマーケットなのである。

ずらりとシャレオツ風味の商店街を抜けた西端部にもイマドキな佇まいのモール「香里ヶ丘corio」がある。しかし入居テナントは「餃子の王将」だとか、かなり庶民的仕様である。

ピーコックストアと万代スーパーの間の商店街には人工的なせせらぎと遊歩道、休憩ベンチなんかも置かれていて、むしろ優雅な空気すら漂っている。枚方は高級住宅街とまでは言えないが、京阪沿線では「まともな街」と位置づけられる事が多い。寝屋川から手前が貧乏臭すぎて転勤族には無理な土地ばかりだからだ。

これがもしも貧乏人の団地ならばこうしたスペースは軒並み土着オヤジの酒盛り場と化すわけで、香里団地はそんなだらしない生活空間ではないという事だ。これなら転勤族の皆様も抵抗なく住めるのではないでしょうか。

香里団地は旧陸軍の火薬工場跡地に造られた

横文字が並びシャレオツ感を発している「カルチャーハウス香里ヶ丘」前の、なにやら平和のモニュメント的なものが置かれた一角を見る。単に枚方市の「非核平和都市宣言」などが刻まれた、よくある平和の碑だが…

このような平和の碑が建つ理由が実のところこの土地には存在する。香里団地一帯の土地は旧陸軍用地で「東京第二陸軍造兵廠香里製造所」の跡地にあたる。「東京」と無関係な地名が付いているのは東京都板橋区加賀にあった板橋製造所の分所という扱いで、この一帯はかつて火薬工場だった。万代スーパーのある場所に以前あった公設市場などに、造兵廠時代の建物が残っていたらしい。

火薬工場は終戦後一旦は閉鎖されたものの、その後の朝鮮戦争の特需で再び火薬工場が再開される話が出始めた。その当時に枚方市民による反対運動が起き、市議会で火薬工場反対が決議され、現在の香里団地が整備されるに至ったのである。

ちなみに首都圏にも東京都北区の桐ヶ丘団地や埼玉県ふじみ野市の霞ヶ丘団地など、旧陸軍用地を戦後にごっそり団地として造成した場所がある。こうした公園の裏手の山とかが匂いますよね…

他にも香里団地のそこかしこに旧陸軍時代の遺構が残っているという話だが、話が横に逸れそうなタイミングで波平さんに怒られてしまった。そもそも団地の見物に来たのが今回の目的だったので、戦争遺構探しは次回以降に持ち越しである。

広大な火薬工場の跡地は大規模な集合住宅をはじめ、戸建住宅区域などに造成され、全体の計画人口は22,000人と、その当時の枚方市の人口の2割を数える程のものである。昭和30年代にこれだけの規模のニュータウンが誕生した事は日本社会に大きなインパクトを与え、国内外から沢山の視察者が訪問するほどだったという。

京阪の駅からも遠く離れた団地であるにも関わらず、今でも活気のあるマンモス団地といったところで、自家用車があれば第二京阪道路の交野南インターも割と近く、アクセスはすこぶる良好である。治安が良いかどうかというと、それは分かりませんけどね…


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DEEP案内シリーズ管理人。大阪ベイエリアの貧民窟育ち。独自のひん曲がった視点で街歩きを続けております。2008年より上京。関西に留まらず全国、海外に取材対象を薄く広く伸ばして来ました。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。

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