宗教施設っぽいけど福祉法人経営の謎の巨大テーマパーク!姫路市「太陽公園」と総工費40億円の「白鳥城」が壮大過ぎる件 

姫路市

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太陽公園内部・鶏足寺と謎の顕彰碑編

めくるめく石像と世界遺産レプリカに圧倒されながら太陽公園の敷地内をふらふら歩いてきた訳だがその突き当たりには「峰相山双塔寺」なる看板を掲げた寺のような一画がある。やっぱりまだまだ中国コーナーが続くんですね。

門を潜るとその先には中庭が。寺の名前にある双塔寺というのはやはり中国山西省にある双塔寺を真似して作られたもの。まあ本物を見てないのでどうこう言えないんですが理事長のただならぬ中国へのこだわりの深さを思い知らされる。

レプリカの双塔はそこから見上げた山の上に並んでいた。本物の半分程度の大きさらしいがそれでもでかい。そもそも白鳥城を見た挙句ここまで来るともう何も驚かなくなってくるんですけどね。感覚の麻痺が怖い。

そして忘れた頃に再び万里の長城の入口が姿を現すのであった。本物の万里の長城は冬場遭難死の恐れもある代物だが太陽公園の万里の長城だとそんな心配はない。爺さん婆さんは無理しないでここに登ればいいのに。


立派な門の傍らにはくたびれたパンダ像が数体…死んでませんかこいつら…ちなみに裏側は福祉施設のため一般立入禁止である。

その万里の長城に入ると左側に行けば磨崖仏、右側に行けば双塔(望楼)、中日友好記念碑、長城回廊となっているようです。ん?日中友好じゃなくて、中日?ちなみに現在の万里の長城は全長2キロメートルで、そのうち全長12キロメートルまで延伸させる予定らしいが一向に工事は進んでいない。

磨崖仏はご覧の通り山を豪快に削って作られたもの。ちょっとデカ過ぎて全体像が掴みづらいのだが…何にしてもやる事がバブリー過ぎてぐうの音も出ませんわ。

最後は磨崖仏のある高台から太陽公園全体を眺める。かなりの敷地に跨っているのが分かるであろう。だって総敷地面積3万坪だって言うんだもん。最初に行った白鳥城はかなり向こうの隅に隠れてしまっている。

かれこれこれまで20年掛けてこの広大な福祉王国を一生懸命築き上げて来た太陽福祉グループ、施設全体で一体いくら掛けたのか想像するだけでも気が遠くなったのだが「160億円」だそうです。

広い太陽公園の敷地を引き返していく我々取材班。しかしまだまだ見落としていたものがあった。鶏足寺と五百羅漢である。半分以上は中国かぶれな石像テーマパークだった訳だがここは日本の寺といった趣きを出している。


正面には涅槃像。案内には鶏足寺は播磨最古の寺で新羅の王子が建立したものだとか戦国時代に羽柴秀吉が焼き討ちにして消滅したものを太陽公園内に再建させたものだとかあったがその辺の歴史の事は確かな話かどうかも知らんしそもそもあんまり興味がない。

それよりもまたしても圧巻させられるのが寺の前の丘の斜面にこれでもかと置かれた五百羅漢像。凄まじい密集度。野外ライブか何かですかこれ。

富山にあるおおさわの石仏の森に唯一対抗出来そうな迫力を持つ鶏足寺五百羅漢。いちいち変なポーズを取るあたりも富山のあいつらと被るしあっちのボスは医療法人社団の会長である。

肝心の鶏足寺の本堂はひたすらガラーンとしていて興味を惹かれるものは無かったので早々に立ち去った。

やはりこの寺も五百羅漢の石像の数々も太陽福祉グループの財力で成し得たものだろうか。不思議でしょうがない。どうでもいいけど寺の隣はピラミッドかよ…

この鶏足寺の傍らに並べられた石版の数々にこの太陽公園を作り上げた創造主たる名が刻み込まれている。その石版を見ると「兵庫県社会賞」などと随分立派な賞をもらっていたり、その時の姫路市長やら兵庫県知事やら衆議院議員の名前が連なっていて見るからに凄まじい。「創造主」は社会福祉法人の理事長という立場を越えて、政治的な繋がりの深さも匂わせる光景だ。

そしてそれらの賞賛は全て太陽福祉グループこと社会福祉法人愛光社会福祉事業協会の理事長及び財団法人姫路社会事業協会理事長である門口堅蔵という一人の人物に向けられているのである。


つまりこれらの広大な太陽公園の敷地内にある様々な展示物やあの白鳥城とやらも全て理事長の門口氏の意向で作られたという事だろう。そして理事長が特に深い信仰じみたこだわりを持つ「石貨」が祀られている一画が池の畔に佇んでいるのだ。

そのものズバリ「金運」の文字が書かれた小屋。まあ石貨という時点で金運くらいしか願うものが無いからか知れんが…理想郷を作るのも色々お金が掛かりますからね。

小屋の中には大事そうに額縁に収められたヤップ島住民と共に記念写真に映っている門口堅蔵理事長と思われる人物の写真があった。2012年現在で御年85歳、まだまだ志半ばの国際福祉都市・太陽を完成すべく「ヨーロピアンバケーションタウン」を建設するという人生の大仕事に挑もうとしている昭和の実業家の姿がそこにあった。


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