巨大な軍艦のような姿を今に残す10階建ての集合住宅「高尾ビル」。昭和41(1966)年5月に開業した姫路モノレールの途中駅「大将軍駅」の駅舎でもあり、地上3階と4階の高さに駅があり、モノレールの軌道がビルの中を貫いている格好だ。
確かにモノレールの軌道が高尾ビルの中をぶち抜いている構図もそのまま。劣化の激しいコンクリート軌道は駅構内に突っ込んでいる部分以外は既に撤去されている。
廃線マニアはこの高尾ビルの中にドッキングするモノレールの軌道を見ながらハァハァするんですよね。ね?
昔はここの1階と2階が店舗になっていて「レストラン・ビジネスホテル大将軍」が入居していた。エスカレーターに乗って3階の改札を通って4階のホームに上がれたらしいが、そうした設備全てが使われなくなっており準廃墟状態のまんま。
そして1階部分の外に面する店舗跡もことごとく廃墟化して見る影もない状況。
で、ここの5階から10階が住居になっていて、現在もなお住民が沢山暮らしている。当然ながらこのビルが出来たのも姫路モノレールが出来た昭和41(1966)年とやたら古いので、耐震性の問題から建物の解体予定が既に決まっている。
昭和の人々が夢に思い描いた未来の交通システム「モノレール」の駅をそのまんまビルの中にぶち抜いてドッキングさせた奇抜な発想の建物だが、おおよそ50年も前のものだと考えると、住居フロアの等間隔に並ぶ窓や無骨で殺風景な風貌といい、冷戦時代に東側諸国が建設した団地のような佇まいだ。
現在でも遠目に大将軍駅のホームを眺める事ができるが、駅構内にはどうやっても入る事はできない。姫路モノレール自体も開業8年後の昭和49(1974)年に廃業したが、この大将軍駅は利用者減少で開業2年足らずで営業休止してしまっている。廃墟物件としては相当の年代物だ…
大将軍駅のすぐ西側は県道62号の大通りが南北を貫いており、モノレールの軌道もビルの縁にある橋脚のところで撤去されている。
高尾ビルの裏手に回る。こちらの方が上の住居部分と下の駅舎と店舗部分との構造の違いが分かりやすい。住居フロアへの入口もこちら側にある。
「都市機構 兵庫住宅管理センター 高尾アパート」と書かれた住居フロア入口の銘板。建設当時は日本住宅公団。つまり公団住宅だった訳だ。軒並み「都市再生機構」に名前が変わって、ここもステッカーで上書きしちゃってますが。
この上の住居フロアだって、駅前どころか「駅上物件」という一見好条件に思えるが、姫路モノレールの運賃の高さもあって当初から敬遠されていたし、そもそも姫路駅から徒歩10分の近さにある上、20分に一本しか来ないモノレールに高い運賃を出してひと駅乗るよりも歩いた方が全然早い。全く採算性のないダメダメな公共交通機関だったのだ。
どうやら高尾ビルは住宅賃貸契約期限の2015年5月を目処に住民を退去させて解体に着手する手筈となっている模様。その時までが見納めである。急ぐべし。
さらに姫路モノレールの軌道跡は山陽新幹線の下を跨いで南方向へ伸びていく。その行き着く先はモノレールの終点、手柄山中央公園だ。