阪急梅田駅前、再開発で意識高い系タウンと化した「茶屋町」を観察する

比較的富裕層が多いとされる阪急沿線、その終着駅である阪急梅田駅を降りて改札を出てすぐの所にある「茶屋町」エリア。

この界隈は90年代から再開発が進められて続々と商業施設が乱立するようになり「大阪市北区茶屋町」の町域における人口も一時期には二桁台にまで減っていた。今となっては可処分所得の大きい阪急沿線民のお買い物スポット兼、地名通りにちょっと上品に「お茶をする」街になっているわけでして。

ユニクロの店先には大阪人の心に響くキャッチフレーズ

そんな茶屋町にある「ユニクロOSAKA店」の前を通りがかる。何の変哲も無い、けれどもイマドキな造りをしたユニクロの店舗の一つでしかない。爆買い目当てのアジア系外国人観光客でごった返しているミナミのユニクロよりは、こちらの方が若干落ち着いている。

それよりも店先に書かれたキャッチフレーズがこれまたジワジワくる。「大阪最高のユニクロは、世界最高のユニクロだ。」だそうです。さすがグローバル企業のユニクロ様、大阪人の心を掴むフレーズをよく御存知である。根っからの大阪人は「大阪一は世界一」と言われるだけでなぜか自分のことを褒められているわけでもないのに機嫌が良くなる。実に単純である。

梅田ロフトと毎日放送を皮切りに始まった茶屋町のオサレ化

茶屋町は現在も知的レベルの高い阪急沿線民の需要を応えるかのように、大型書店・丸善&ジュンク堂が入居する「CHASKA茶屋町」、それにシャレオツ商業施設「NU茶屋町」などのオサレ複合ビルが軒並みそびえており、大阪市内屈指のアッパーミドル向け繁華街の様相を呈しているが、やはりこの街が大きく変貌を遂げるターニングポイントとなったのが「梅田ロフト」の存在だろう。

東京・渋谷の西武百貨店隣に本店を置くオサレ雑貨デパートの草分け的存在「ロフト」関西上陸一号店となった梅田ロフトは1990年4月オープン。既に30年近い歴史がある。店舗外観にある「Loft」のロゴが記された錆色の仕掛け看板も物凄く前時代的デザインを感じさせる。

梅田ロフトとほぼ同時期の1990年9月に千里丘陵から移転してきた毎日放送(MBSテレビ)の社屋。関西人には馴染み深いが他地域の人間には全く無名なキャラ「らいよんチャン」のバルーン人形が玄関上に鎮座。

その2年後の1992年10月には34階建ての高層タワーホテルを中核とした複合商業施設「ちゃやまちアプローズ」が完成。「ホテル阪急インターナショナル」「梅田芸術劇場」といった富裕層向け施設を置いてターミナル駅の集客力にするべく建てられた阪急電鉄グループ肝いり物件である。この3つのビルが、それまで古臭い長屋が連なるだけの下町だった茶屋町に変貌をもたらしたと言っても良い。

00年代以降誕生した「NU茶屋町」と「NU茶屋町プラス」

現在の茶屋町エリアは2005年に開業したファッションビル「NU茶屋町」が中心的存在になっている。やたら女子ウケの良さそうなテナントばかりが入っていて大阪ではもっぱら少数派の意識高い系リア充御用達物件としてすっかり定着している。これが出来たせいで茶屋町のオサレ化路線は加速、イマドキ女子は「ヌーチャヤ」(NU茶屋町のことをそう呼ぶらしいです)でお買い物した後、中崎町の古民家カフェでほっこり、が定番コースである。

NU茶屋町の敷地内通路を抜けた先にももう一軒、2011年に建てられた「NU茶屋町プラス」はビルの上層階が31階建てのタワーマンション「ジオグランデ梅田」になっている。この両者の間の並木道を見るとよもや大阪市内とは思えぬシャレオツ仕様。ちなみにタワマンは賃貸でも物件が出ているが家賃が1LDK約55㎡で23万とか、飛び抜けて高い。

安藤忠雄建築「CHASKA茶屋町」にあるラグジュアリーなホテル

NU茶屋町プラスの隣にそびえ立つ「CHASKA茶屋町」は先述の通り大型書店「丸善&ジュンク堂」が入居しているが、このビルを遠目に見るとかなーり奇妙な形状をしていることがわかる。それもそのはず、大阪の地が生んだ建築界の巨匠「安藤忠雄」がデザインを行った物件の一つなのだ。

新御堂筋を挟んだ反対側からその建物を見ると、特に上層階がまるでカットされたケーキのような極端な二等辺三角形をしている。あのケーキのような部分が高級賃貸マンションとラグジュアリー仕様のホテルとして使われている。2010年4月築。旧大阪東急ホテル跡地に建てられたものだ。

それにしても「CHASKA」という名称の由来、“CHAGE&ASKA”の略ではないことだけは確かであるが、一体何スカね?。ここの高級賃貸マンション「チャスカ茶屋町レジデンス」も家賃は1LDK約59㎡で22万8千円とかであり、ちょっとした給与所得者では手が届かない。都心回帰の傾向もあって大阪市中心部に住む富裕層も若干増えてきた感がある。

安藤忠雄建築が気になってしょうがなかったので、CHASKA茶屋町の上層階にあるラグジュアリー仕様ホテル「アルモニーアンブラッセ大阪」に宿代を奮発して泊まってしまった。ベッドのソファーが虎柄だったりするのがアレですけれども、これは大阪人ウケを狙っているのだろうか。ちなみに運営会社は東京都品川区にある。

結婚式を挙げるなんて柄でもなくとも安藤忠雄建築が気になる人間にとっては一度は見ておきたい、同ホテルの最上階に君臨する総ガラス張りの「天空のチャペル」。宿泊者であれば受付に申し出れば見学くらいはさせてもらえる。市営住宅暮らしの大阪市民には一生縁がなさそうですみませんけども。

アルモニーアンブラッセ大阪の客室からベランダに出ると、ご覧の通り大阪キタの繁華街をこれでもかというほどに一望できる。晴れた日には大阪湾や生駒山地なども見られるが、どちら側の部屋かで眺望が全く変わる点については要注意。

ベランダが西側を向いた客室から見られる風景、足元に目をやると阪急電車の車両がひっきりなしに梅田駅に出入りする寸前のトレインビューもバッチリ見られる。鉄ヲタ大歓喜ではなかろうか。

夕暮れ後に見られる夜景もこの通り。すぐ隣にそびえるタワマンのせいで若干眺望が遮られるのが残念だが…

2007年頃、再開発される前の茶屋町の風景

かれこれ10年以上も街歩きサイトをやっていれば大昔の写真も溜まってくるもので、この場を借りて2006~2007年頃に撮った茶屋町の写真を放出しておこう。これはまだ「NU茶屋町プラス」が出来る前の風景である。

茶屋町の地名由来となっている「鶴乃茶屋跡」の古びた石碑が路地の入口にあった茶屋町8番地が現在「NU茶屋町プラス」になっている場所。全く昔の面影は残っていない。

この頃の茶屋町にはまだまだ下町の原風景が残っていた。非戦災地域だった事もあり戦前築の長屋が連なる、それは風情のある光景も見られていたのだが、あまりに梅田の中心部に近すぎたせいで、再開発の波に晒されたのだ。

今ではタワマンがそびえる一画となった茶屋町の路地。足元はなんとも歴史漂う石畳が。もう少し有効活用出来なかったんですかね。もったいない。

路地を進んだ右手には解体された「大阪ベルェベル美容専門学校」の旧校舎の建物なども残っていた。同専門学校は今も茶屋町に現存し、毎朝通学中の美容師のタマゴたる若者の列を見かける。

人の出入りもなく再開発工事を待つだけとなったかつての長屋の路地の奥は、野良猫たちの生息地と化していた。

もうこの猫たちも今では生きていないだろう。


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DEEP案内シリーズ管理人。大阪ベイエリアの貧民窟育ち。独自のひん曲がった視点で街歩きを続けております。2008年より上京。関西に留まらず全国、海外に取材対象を薄く広く伸ばして来ました。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。
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