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金魚田と遊郭跡の「大和郡山」 (5) 近鉄郡山駅

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JR郡山駅から洞泉寺町の遊郭跡を眺めつつ昔の街そのままな道幅の狭い県道を縫うように歩いていくと、1キロくらいの距離で近鉄郡山駅に辿りつける。
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近鉄郡山駅は橿原線という奈良盆地を縦断する路線の駅となっている。京都方面へは京都線への直通列車があるものの、大阪や近鉄奈良駅方面へは大和西大寺での乗り換えが必要なので、ベッドタウンとしては微妙過ぎる栄え方をしている。


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なんとも田舎臭さが全開の駅前からは、さっきの柳町商店街へと繋がる郡山駅前商店街の入口がある。駅から少し離れてロータリーがあり、そっち側は多少ベッドタウンっぽく仕上がっている。
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この近鉄郡山駅から線路沿いに橿原方面に歩いて行くと、次の目的地である東岡町の遊郭跡がある。ただでさえ寂れっぷりの酷い駅前風景だが、駅の南側に連なる商店街は輪をかけて寂寥感が増して行く。
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線路沿いに連なる微妙にカーブを描いた横丁には居酒屋やらお好み焼き屋なんぞがずらりと横一列に並んでいる。
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やけに寂れた感じに思えたが、そういえば正月休み期間中に訪れたという事もあった。「近鉄郡山南商店街」と名前が書かれた看板がある。
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駅前から続く呑んだくれ横丁は100メートル程に長屋状に連なっていて、戦後のドサクサを思わせるボロい店が競い合うように並ぶ。どの店も開いておらず残念な感じだ。
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この通り道はかつて東岡町が「現役」だった頃に、近鉄郡山駅から遊郭に遊びにやってくる男どもを相手していた飲食街でもあった。実は東岡町は昭和33年の売防法施行後も密かに営業を続けていたちょんの間地帯で、最近までそれが残っていた。
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東岡町のちょんの間は「郡山新地」とも呼ばれ、飛田や松島などの大阪五新地やかんなみ、五条楽園といった関西の新地の一つとして認識されていた。だが昭和末期に一斉取締りを受けて壊滅したのだそうだ。
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これから向かう場所はそんな因縁深い土地な訳だが、そう思うとなんだか殺伐感が増して来る。
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線路沿いの飲食街が一旦途切れて踏切のある四つ角に出る。角には超オンボロな佇まいのたこ焼き屋の残骸が立ち尽くしており昭和枯れすすきな時代の風を感じさせてくれる。
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既に廃墟マニアが喜びそうなレベルにまで寂れまくった近鉄郡山駅南側一帯。それでも郡山新地が現役だった頃は辛うじて商売をやっていたのかも知れないな。東岡町へはこの道を線路沿いにさらに真っ直ぐ進もう。
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そのうち商店街が終わる辺りが突き当たりになるので、そこを左折。もう東岡町は近い。
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徹頭徹尾寂れ過ぎな商店街の締めくくりは時計屋の廃屋だった。もう時を刻む時計すらその場所にはない。死んだ色街がこの先にあるだけ。
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そんな土地にお誂え向きな意味深な電柱広告。
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禁断の郡山新地は、この先すぐ。

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DEEP案内シリーズ管理人。大阪ベイエリアの貧民窟育ち。独自のひん曲がった視点で街歩きを続けております。2008年より上京。関西に留まらず全国、海外に取材対象を薄く広く伸ばして来ました。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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