京都駅至近のリアルパッチギコリアタウン!「トンク」こと東九条界隈を歩く 

京都市

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京都と言えば古い歴史と神社仏閣、そして舞妓さんの練り歩く雅やかな街並みを想像するが、JR京都駅を境目に北と南ではまるで別世界である。そこにあるのはただ時を刻んだだけで黒ずんだ錆色の廃墟と鉛色のコンクリート。これが知られざる京都の姿だ。東九条南河原町、鴨川近くの土地に広がる工場の廃墟は荒れ放題の姿を見せている。

隣接するバラック小屋は既に生活の臭いは失われている。かつてはもっと沢山の労働者で街が賑わっていたのかも知れない。しかし全国的に工業や建設業で成り立ってきた街というのは総じて寂れるがままの状態になっているのが常である。

この周辺の土地は見事に廃屋か廃墟工場か空き地しかない。寂れっぷりが凄まじいが、それでも京都駅からわずか徒歩10分圏内で来られる場所の光景なのである。

水がすっかり干上がっている高瀬川。干上がった川の下は住民が好き勝手に植木鉢を置いて庭状態。その向こうにもバラック建ての工場群がある。よく見ると橋の上のスペースも工場敷地として有効活用されている。


バラック住宅と高瀬川の向かいには土建屋の事務所らしき建物がある。よく見ると防犯カメラが据え付けてあるが、やはりそのテの人が多いのだろうか。昔から東九条界隈では廃品回収業か土木・建設業などの肉体労働系で生計を建てる人間が多い。ある意味、西成にも通じるものがある。飲食店はことごとく閉まっているが、よく見るとホルモン屋ばかりだ。

その北側に回ると古びた市営住宅とスーパーが見えてくる。まるで昭和40年代に戻ったかのような街並みだ。

表に韓国料理の看板を掲げる店があった。行った時期が年末年始なので普通に考えると店は閉まっているものだが、案外在日コリアン系の店は正月休みを取ったりしない事が多いようで、通常営業している店が多い。

しかし路地の奥にある店の玄関を見ると、きっちり正月休業中の張り紙が貼られていた。やはりただでさえ閑散とした場所だ。きっと店を開けても意味がないのだろう。

それにしてもこの路地裏のボロアパート群のクオリティも凄い。アパートに人が居たとしてもきっと独居生活中の労働者ばかりなのであろう。全く生活臭はせず、子供どころか人影もないという寂しい年越しを迎えているトンクの風景だ。

東九条地区のあちこちには市営住宅が目立つ。隣接する崇仁地区と同様、独特の歴史的経緯があってのことだが街並みは総じて寂れている。団地の前には「犬のふさすな」と飼い主への警告文。やはりちょっと日本語が不自由のようだ。

時折見かける政党ポスターは共産党か社民党か、もしくは9条ネットである。

マイノリティが置かれてきた環境から生まれたのは過激な階級闘争史観であり、貧困と差別に打ち勝つ為の運動のはずがいつの間にか手段が目的に変わってしまった系のプロ市民運動家が必ず居たりするので厄介だ。だからこそ関西ではいつまでも問題が解決されていない訳だが。

市営住宅以外の人家はこうした古いアパートくらいしかない。そこも同様に生活感のない寂しい姿を晒している。

こういう場所にこそ不法投棄は後を絶たない。テレビが4台立て続けに捨てられている。捨てる側もこの界隈に廃品回収業者が多い事を知ってやっているのだろうか。

他には在日コリアン系の高齢者・障害者福祉団体の事務所がある。マイノリティと人権のふるさとは今や総じて福祉の街だ。

子供一人として遊んでいない寂しい公園のトイレには「夜中に戸をたたく様な近所の方に迷惑のかかる行為は、やめて下さい」とある。夜中はさぞかしカオスなサファリパークと化すのであろうか。

公園の向かいには「希望の家」と書かれた福祉施設のような建物がある。京都市営のようだが、どうしても釜ヶ崎あたりにあるキリスト教系のボランティア施設のそれを連想してしまう。

東九条の街のあちこちでは、現在も虫食いのように空き地が広がっている箇所がある。それらはいずれ市営住宅として整備される予定になっている事が多い。

ここに何か洒落たショッピングモールでも出来ると京都駅から客が流れてきてすぐにでも雰囲気は変わるような気がしなくもないが、やはりそれはやらないのである。一転して駅前に行くと観光客でごった返しているだけに、このギャップの極端さが異様だ。

河原町通に出ると、その両側にもキムチ屋や焼肉屋が並んでいる。そのまま京都駅まで歩くと、やはり目立つのはパチンコ屋や韓国系の店が多い。まだまだ探索しがいのある東九条のDEEP下町ゾーンだが、あまりに広い。今回はこのへんで撤収である。


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