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大阪市営住宅探訪 (1) 馬渕生活館

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一世紀以上前、釜ヶ崎のドヤ街が形成される以前、今の日本橋電気街辺りが「長町スラム」と呼ばれており、その頃から貧民街が存在していた。
浪速区や西成区が所謂大阪市内の「都心」のど真ん中であるにも関わらず昔からすこぶる強烈な貧民街であると言う事は長い歴史が示してきたし、一方で現在でも実際に大阪で生活している人間からすると「西成には絶対行くな」などと親から教育されて育つのはごく当たり前の出来事である。
それに関西独特のマイノリティ・被差別身分に対する問題も未だに根深い。
それだけにこのエリアに対する興味がいつまでも失せない。
さて、釜ヶ崎やそれ以前の長町スラムなど、この地区の歴史を紐解くと、そういえば随分と立派な「市営住宅」がこのエリアに数多く存在しているものだということに気が付く。
今はもう取り壊されて存在しないが、沢山の団地マニアを唸らせた「軍艦アパート」こと日東住宅もこのエリアの中にあった。
そして今回案内するのが浪速区恵美須東にある「大阪市立馬渕生活館」と呼ばれる市営住宅群である。

市営住宅というとだいたい「大阪市営○○(町名)第二住宅」などという名前がふられるのが普通なのだが何故かこの住宅にいたっては「馬渕生活館」という奇妙な名前が付けられている。生活館という呼び方がなんともイレギュラーで印象深い。
団地の入口も廃車が野ざらしになっていたりとなかなかのスラムっぷりを見せている。ちなみにこの部分は南海本線の車窓からも見える。



馬渕生活館は1962年に建造された市営住宅であり、西と東に一棟ずつ、5階建ての住宅棟が配置されている他は中央部分に集会場らしき平屋建ての建物が置かれている。
東側のA棟1階部分は「大阪市立馬渕生活館保育所」になっており、表の壁には保育所らしき絵が描かれていることで、その存在を示している。

錆付いたサッシ、くすんだコンクリート…築50年を経過しようとしている建物だけに貫禄が凄いんですが。住民の高齢化が進んでおり、半分以上の部屋が空き家になっているらしい。

「西日本狂走風来坊」
ふと建物の側壁を見るとこのようにヤンキーの落書き(マーキング)が目に付いたりするのが大阪スラムクオリティ。風来坊って粋なネーミングやなw

古い市営住宅にはこのように「ダストシュート」と呼ばれる、ゴミ袋をそのまま上層階から投げ入れる設備が置かれているのだが、上層階からゴミが投げ込まれるとゴミ袋が破けたりして大変なことになるのでそのうち使われなくなったとか。

馬渕というのはこの界隈の地名なのだろうか、この団地の建造に関わった人物の名前なのだろうか、今の時点では知る由もない。

東側のA棟に隣接する形で、集会場らしき建物が使われずに放置されているのを見る事ができる。こうした市営住宅にしろ他のものにしろ大阪市が所有する土地の使われ方はどこもかなり曖昧で理解不能である。昔からのことだけど。

難波にも天王寺にも徒歩圏内でかなり一等地なはずだが、この有様は酷い。そこがまた団地マニア心をくすぐるのではあるが。まあ、団地というか廃墟になりかけているのが馬渕生活館なのだが。

不法侵入を咎める警告看板が掛かってはいるものの、こんなにほったらかし状態なら深夜には不良のたかり場になっていることは容易に想像できる。

馬渕生活館A棟・B棟の間のスペースは空き地のまま放置されており、北側は保育所の敷地として使われている。この場所だけ昭和のまま時間を止めているかのようだ。

高度経済成長期の時代にはこの団地にもさぞ活気が溢れ、建築業などを中心とした釜ヶ崎の労働力として人々が営みを送っていたのであろう。だが、今は静寂のみが残る。
長崎の端島(軍艦島)のように炭鉱が閉山してばったり街が潰れるような風ではないが、ゆっくりと街の死が訪れるのを待っているかのようにも見える。産業構造の変化による栄枯盛衰のドラマは形は違えど共通している。そこに漂う何らかの哀愁も。

しかし至る所にゴミ溜めが放置されていて見苦しい。

よく見るとゴミ溜めに放火された跡まであって何だかおっかない。大貧民国の大阪なら何が起こってもおかしくない。住民の安全意識は大丈夫なのだろうか。

長町スラムの時代から一世紀が経過しているにも関わらずこの界隈は未だに生活保護率も高く沢山の福祉関連施設が存在しており、浪速・西成界隈が最強のスラムであることを時代を超えて示している。なぜスラムはスラムのままなのだろうか。こういう場所で暮らし続けていると、そこで住む人々に意識の変化が訪れることはないのだろうか。
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近くの日本橋電気街には「愛染橋病院」という病院があるのだが、ここは明治時代から長町スラムと呼ばれていたこの地域で貧困に喘ぐ市民の医療を支え現在でも産婦人科においては大きな評判を得ている。(大阪市内で唯一の総合周産期母子医療センターに指定されている)
蛇足にも私、逢阪はこの病院で生まれた。何かの縁なのか知らぬが。
参考記事
我が家ではない大阪の風景(5)釜ヶ崎の源流を訪ねて
※追記(2009.6.6)
「大阪市立馬渕生活館」は老朽化を理由に2010年3月に廃止されるらしい。実は市営住宅として位置づけられておらず、大阪市側が付近のスラムの住民を立ち退かせて住ませたあくまで「一時的施設」だそうである。
大阪市立馬淵生活館:「一時施設」半世紀、無情の退去通告 高齢者ら80人、当てなし – 毎日jp(毎日新聞)
毎回思うことだが大阪市の土地の使い方って本当にいい加減すぎる。

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DEEP案内シリーズ管理人。大阪ベイエリアの貧民窟育ち。独自のひん曲がった視点で街歩きを続けております。2008年より上京。関西に留まらず全国、海外に取材対象を薄く広く伸ばして来ました。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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