大阪梅田「大阪駅前地下道」…立ち退き問題で揉める「串カツ松葉」と「ぶらり横丁」、在りし日の「アリバイ横丁」

大阪市北区

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大阪市北区 梅田

それからこの地下道で馴染み深い光景と言えば、阪神百貨店のデパ地下コーナーの向かいにずらりと並んでいた、これまた大阪人には見慣れていた風景「ふるさと名産」コーナー。各都道府県の名産品がそれぞれのブースで販売されていて、どの店もやる気の無さそうなおばちゃんが店番をしている場所だ。ここも既に無くなってしまった。

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「旅行をしてきた」と言い訳が作れる都合の良いお店という事で、通称「アリバイ横丁」と呼ばれていた場所だ。2006年当時の古い写真があったので載せておくが、この当時は新幹線ですぐに行けるはずの「東京都・愛知県」の店舗など、かなりの数が営業中だった。浅草の雷おこしや名古屋の青柳ういろうや宮きしめんが以前はこの場所で買えたのだ。

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この「大阪駅前地下道」が出来たのは戦前の昭和17(1942)年、その後終戦を迎え、この場所は不法占拠の闇市となり、雨露をしのげる地下街だけに、当時街に溢れていた手足を無くした傷痍軍人や乞食、その他諸々の路上生活者の寝床と化していた。長らく大阪梅田の「戦後」を象徴していた地下道だったのだ。

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そんな地下道に長らく存在していたアリバイ横丁も2014年3月29日までに「鳥取、島根、香川、宮崎、長崎・佐賀」と最後まで営業していた5店舗が完全終了。やはり理由は「串カツ松葉」や並びの店舗と同じで阪神百貨店の建て替え工事に伴う大阪駅前地下道の拡幅。従来の道幅8メートルから15メートルに拡げるらしいですよ。

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昭和26(1951)年に「全国銘菓名物街」としてオープンして以来、63年間もの長い歴史をこの地下道で積み重ねてきた事になる。今や旅行先も海外は当たり前になったし、飛行機や新幹線もあるし、ここでアリバイを考えつく必要も無くなったようで、これも時代の流れか…

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そんな「アリバイ横丁」に隣接して、赤提灯がぶら下げられた乙な飲み屋街があり、ここが「ぶらり横丁」と名付けられているのだが、ここも同じく大阪駅前地下道の拡幅工事に伴い、占用許可が2014年9月30日を持って期限を迎えているが、一部店舗は「串カツ松葉」同様立ち退きを拒否して現在も営業を続けている。

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「ぶらり横丁」入口。手前は現在も立ち退きを拒んで営業中だという「まねきそば」。その奥は串カツ屋やら大衆居酒屋が狭い中央通路に十数店舗立ち並び、仕事帰りのサラリーマンが立ち寄る梅田一等地のオアシス。

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奥の居酒屋群は大半が閉店するか移転するなどしており営業していない模様。ここ梅田においてサラリーマン達のオアシスはどんどん駆逐されていく。串カツ松葉と同じく、大阪市が特別に地下道での営業許可を出した飲食店の集まりが「ぶらり横丁」の始まりという。

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「まねきそば」のうどんと天丼のセット。これを500円で食えるんだから完全にサラリーマンの味方ですよね。2015年2月現在でも立ち退きを拒んで営業を続けているらしいので、まだ食えると思われる。

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サラリーマンの居場所も無くなるけど、ホームレスの居場所もどんどん無くなりつつある2015年の梅田地下街。ますます「梅田が梅田でなくなる」気がして一抹の寂しさを感じますが、皆さんどう思われますかね。


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