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梅田の隣「中津」 (5) 淀川河川敷と団地

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大阪駅や阪急梅田駅から徒歩10分。都心から至近距離にあるにも関わらず独特の寂れ方を見せる下町「中津」。大阪最強の混雑率を誇るという地下鉄御堂筋線でも、梅田を過ぎてひと駅離れるだけでまるで別世界の閑散っぷりを見せつける。

地下鉄中津駅を降りた東側の豊崎エリアはオフィスビルやシティホテル等がある一方で古臭い市営住宅や公園が多く残っている。
中津駅にも近い「豊崎西公園」には公園のど真ん中にタコの滑り台がある。チューチュータコカイナ。さすがタコが好きな大阪民国人のお国柄。
しかしタコの滑り台は別段大阪だけに多いだけではなく全国に分布していると言われる(→詳細



その正面にある市営住宅。大阪市内にはこのような市営住宅が非常に多い。高度経済成長期における労働力人口の受け入れに市の施策として大々的に行われた名残りだ。平成不況を迎えるまで大阪は工業都市だった訳であるが、時代が過ぎ工業生産が海外にシフトした今では労働力ではなくもっぱら福祉のための住宅と化している現状がある。

タコと市営住宅が周りのオフィスビル群に取り囲まれて何ともシュールな光景を生み出している。

JR貨物線を跨いで北側に出ると、淀川河川敷に面した一帯にも大規模な団地群が現れる。これも高度経済成長期の最中、1971年に建設された「中津リバーサイドコーポ」である。周囲には市営住宅が目立つが、こちらは普通に民間の分譲型マンション。

淀川河川敷側から建物を見ると、はたまた巨大な軍艦のようでもある。築40年近いにも関わらずなお存在感を放っているのだ。

大阪万博開幕前後に建設された、ある意味大阪が最もイケイケドンドンだった時代の建築である。今の時代とはまるで威勢が違う事が建物の雰囲気から伝わる。

しかし良く見ると階段部分に「公害道路反対」等と書かれているのが見えるではないか。しかもかなり古びた看板だ。これは一体何だ?

それは阪神高速淀川左岸線の工事に対する抗議と反対の意思を示す看板だった。看板の字体や錆び方からして結構昔に作られた事が分かる。
反対運動の挙句、結局高速道路の建設計画は続けられているものの、ルートはほぼ堤防の下にトンネルを掘った状態で完成させる事になっているようだ。完成予定は2020年…相当先の話のようです。

団地の公園内には石碑が置かれている。昭和初期の作家・森本薫のものだ。
「誰が選んでくれたのでもない 自分で選んで歩き出した道ですもの」
何故か今どきのJ-POPにありがちな歌詞のような文章がそこには刻まれていた。

戦時中に再発した肺結核で僅か34歳で生涯を閉じたという森本薫。ゆかりの地がここ中津なのである。
もっとも当時は大阪市ですらなく「西成郡中津町」だった。1925年に大阪市東淀川区に編入、1943年には淀川左岸の中津は大淀区になり、1989年には北区に変わった。大阪市の中でもとりわけ区域の変更が忙しい場所だ。

中津リバーサイドコーポの目の前から淀川河川敷に出られる。弱々しい歩道橋が架かっているのを渡ると、その下には恐らく河川管理者に無断に使用されているであろう「家庭菜園」が広がっている。関西ではありがちな光景である。

不法と言えば勝手に作られる家庭菜園やゴルフ練習場、はたまたホームレスの小屋ばかりではなく不法投棄も目立つ。大阪の河川敷は無法カオスゾーンである。有事でもないのに川に平然と死体が浮いているのはインドのガンジス川と大阪の淀川河川敷だけ(→詳細

それでも大阪の母なる川・淀川は今日も淀みなく流れ続けている。ちなみに中津で生まれ育った闇の帝王・許永中は現在も塀の中で暮らしているのだそうだ。

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DEEP案内シリーズ管理人。大阪ベイエリアの貧民窟育ち。独自のひん曲がった視点で街歩きを続けております。2008年より上京。関西に留まらず全国、海外に取材対象を薄く広く伸ばして来ました。
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