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梅田の隣「中津」 (4) 中津商店街

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梅田の隣にありながら発展とは程遠い存在にある中津の街。阪急中津駅の北側、中津三丁目の界隈は奇跡的に空襲を受けずに済んだ古い下町が残っている。

街の真ん中を南北に貫く「中津商店街」。かなり間口も狭く、うっかりすると通り過ごしてしまいそうな存在だ。阪急中津駅の改札を降りて徒歩1分半くらいの至近距離にある。



中に入っても、やはり道幅が狭い。車が通る事も難しい商店街は昔の基準そのままに作られている事が分かる。古びたアーケードが陽の光を和らげる。半分くらいシャッターを下ろしたままの店舗もあるが、健在の店も多い。

周りを線路に分断された中津の街はまるで街全体が代謝していないかのように昔からの店舗を残している。写真をセピア色に加工して「これ昭和40年頃の商店街ですよ」と嘘を付いてもきっとバレないだろう。

所謂チェーン店はおろか、コンビニやスーパーマーケットらしい形式の店すらない超アナログな店構え。当然だが地元民以外が買い物に訪れる事もないだろう。店の軒先に架かる看板もいちいち昭和の香りがプンプン漂っている。

時代が過ぎても新しいものを拒絶しているかのように残る中津商店街の風景。高度経済成長期の活気あった頃と比べると、店の数は半分に減ってしまったという。許永中の家族もここで普段の買い物をしていたのかと勝手な想像をするが今では手掛かりすらつかめない。

商店街の脇に逸れると今もなお残るオンボロ長屋群。関西風に言う所の「文化住宅」である。ちなみに文化住宅という言葉は関西ローカルであり他所の地方では通じない。

もし火事にでもなったら逃げ場がなさそうな狭い路地である。神戸の長田あたりにあったこの手の文化住宅は震災に遭うと見るも無残に崩れるか焼け落ちるかのどちらかの運命を辿った。

だが中津三丁目の界隈はまだまだこうした文化住宅が健在でなおかつ優勢。許永中も幼少期はこの辺の路地で遊んでいたのかと勝手な想像をするが…

しかしこの界隈も徐々に空き家や廃墟が増えてきている一方で不法投棄も目立つ。隣の中崎町のように古民家を再生してカフェやら何やら変な店が沢山出来るような「変化」も今のところ中津の界隈では無い。

文化住宅の角、トタン板に打ち付けられたフマキラーのブリキ看板。きっと許永中が幼少期に見た風景と同じものを今の我々も見ているのかも知れない、と勝手な想像をする。


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DEEP案内シリーズ管理人。大阪ベイエリアの貧民窟育ち。独自のひん曲がった視点で街歩きを続けております。2008年より上京。関西に留まらず全国、海外に取材対象を薄く広く伸ばして来ました。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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