中津の街を分断する鉄道や道路などの高架橋の存在は、同時に街のシンボルでもある。梅田という都心を間近に控えながら、いわば物理的に隔てられた壁の向こうの領域として中津の街は昔ながらの風景を留めている。
JR貨物線の下は、一応人が行き来できるスペースはあるものの、桁下制限高1.4メートルという恐ろしく低いガードになっている。さすがに車も通行はできず、この下を通れるのは歩行者か自転車だけだ。
日本最古の大学寄宿舎「吉田寮」は京大吉田キャンパスの南側、東大路通に面して存在する。建設されてからおよそ一世紀を迎える超オンボロ建築の内部は学生寮というよりもむしろ廃墟のような佇まいであると聞く。
入口から銀杏並木を過ぎた正面に吉田寮の玄関が見える。時折学生が出入りする以外にも、吉田寮見たさにわざわざ訪れる一般人の姿もある。度々テレビや映画で取り上げられる事も理由の一つであろう。
日本は八百万の神の国。全国津々浦々にいろんな神様があらせられる訳だが、2010年の初詣にと京都を訪れたDEEP案内取材班。普通の神社ばかりに行くわけもなく、かねがね噂に聞いていた「縁切り神社」なる場所の存在を聞き、京都は祇園へと足を運んだのである。
その神社の名は「安井金比羅宮」と言い、崇徳天皇・大物主神・源頼政の3柱を祀る。この神社が「縁切り神社」と呼ばれるのには、同名の田口ランディの小説が有名であるが、それ以上に祭神である崇徳天皇について語らなければならない。その辺の解説は後回しにして、この神社が普通の神社とどう違うのか、まずはビジュアル面で伝えていこう。
日本の古都として歴史の中心にあったこの京都には、表の歴史もあれば裏の歴史もある。毎日多くの観光客が乗り降りする京都駅前。そこから南方向へ少し歩くと「東九条」がある。通称「トンク」。京都最大の在日コリアン集住地として知られている。
その存在を世に知らしめたのは井筒監督の映画「パッチギ!」であり、主人公である李一家が住まうバラック住宅が東九条にあったという設定なのだが、京都観光に訪れる人々も、京都市民ですら近寄らない魔境として、長らく京都駅前という場所にあるにも関わらず見捨てられたかのような街並みが未だに広がっている。
2007年の暮れに長田区を訪問した時に発見した、六番町の廃墟住宅群。それは震災の爪痕なのか、それとも再開発計画による立ち退きなのか、詳しくは知る事ができないままでいるのだが、その時は日が暮れてしまいじっくり探索する事ができなかった。
再度2009年の暮れに同じ場所を訪れた。
新湊川の堤防の上から見える廃墟住宅群はさらに年月が経過して、荒れるに任せる状態で放置されている。周囲は市街地の真ん中であり隣の路地にも普通に人が暮らしている訳だが、なぜかこの路地に面した住居だけがものの見事に廃墟となっている。
ミナミへ来るとどうしても道頓堀や吉本に目が行ってしまいがちであるが、ミナミの歓楽街でもはや忘れ去られてしまったかのような佇まいを見せるビルがある。
かつてはミナミを代表するナイトスポットだった「レジャービル味園」である。
難波駅から「なんば千日前通商店街」を日本橋方向に突っ切ると、途端に現れるアングラチックな景色。奥に見える、ひときわ大きな建物が味園ビルだ。
建物を見れば分かるように歴史が古く、テレビCMが昭和40年代からバンバン流されていたので、大阪に住んでいる親の世代なら「味園」と聞いて知らない者はいないだろう。
もしも日本最強の下町はどこかと問われたら、間違いなく「西成」と答えるであろう。
あいりん地区に代表される特殊な街だというイメージが先行する西成区だが、その大半は古くからの木造家屋が密集した素朴な下町であり、そこには何世代にも渡る庶民の生活が連綿と受け継がれている。
ともかく物価が安いのである。今のようにスーパー玉出が現れる前から、安売り路線は西成区民に支持される傾向にある。ホルモン焼きやコロッケの店、それから立ち飲み居酒屋の数がやたらめったら多いのが西成区の特徴だ。
巷に広まっている一杯180円のラーメンでびっくりしている場合ではない。
西成には、ラーメン一杯100円を貫く驚愕の店が存在する。
その名もまんま「大阪飯店」。