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大阪市港区夕凪にあったという幻の「港新地」とは一体何だったのか

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大阪には飛田新地や松島新地のような場所があって、余所から見たらとんでもない街だと思われているようだが、我々より前の世代が血気盛んな青年だった昔の時代にはそういう秘密の解放区がもっともっと沢山あった訳で、それらが時代の節目節目で戦災なり売防法施行なり万博なりで消されていったのも運命である。

大阪市港区 朝潮橋

で、我々が今回やってきたのは大阪市港区、地下鉄中央線朝潮橋駅の近くにある夕凪という地区。今見れば寂れた元港湾労働者の街になってしまった感がある場所だが、昭和の時代には映画館やストリップや遊園地なんかもあったという非常に派手だった土地。戦災で丸焼けになって特段古い建物が残っている訳ではないこの土地にかつて「港新地」(市岡新地、夕凪新地とも)という遊郭が作られ、存在していたらしい。そんなの知りませんでしたよ。

大阪市港区 朝潮橋

朝潮橋、夕凪、磯路、波除、港晴、築港などなど、さすがに港区というだけあって海に関係のある地名ばっかりなんですが東京の港区とは大違いでド下町な訳である。で、この地区には夕凪橋という古い地名で呼ばれている一帯に夕凪中央商店会という商店街の残骸があり申し訳程度に古びた個人店舗が軒を連ねている。

大阪市港区 朝潮橋

場所で言えば朝潮橋駅と弁天町駅の間くらいですね。 目の前を走るみなと通(国道172号)沿いに梅田・難波方面に出る市バスが頻繁に走っているので、これを使って夕凪停留所で降りて来るのが良い。

「食鮮館カーム」というスーパーマーケットがあるが、これは昔「幸運橋市場」と呼ばれていた公設市場の成れの果てである。幸運橋というのは戦後の治水対策による盛土工事に伴う安治川浚渫工事で削られ海になってしまっている地域に架かっていた橋の名前。まあ歴史は色々と古いんですよねこのへんも。

大阪市港区 朝潮橋

ここいらも昔は結構人通りが多く流行っていた記憶があるが、建物は古くなる一方で市場は縮んでいく一方。元気なのは夕凪交差点の角にあるパチンコ屋くらいか。昔は「一岡ビル」という戦前建築があり戦災で壊滅した港区の中では奇跡的に残っていた建物だったが容赦なくぶっ壊してしまった。

大阪市港区 朝潮橋

「カーム」の裏手あたりもずらっと市場になっていた記憶があるが、ここもシャッター通りで、半分くらい民家に建て替わっている。角のところに鯨肉専門の店があったはずだが、ここも無くなっている。店先で鯨肉を揚げたクジラカツを売っていた店だった。

大阪市港区 朝潮橋

これだけ潰れた店が多いと早速鬱々とした気分になってくるのだが、その港新地とかいう幻の遊里があったのはこの商店街から西側の夕凪一丁目、二丁目の区画である。

大阪市港区 朝潮橋

港湾労働者の街、今でも間口の狭い文化住宅がずらりと並ぶどう考えても下町としか思えないこの界隈で、創業85年、ふぐ・鱧料理の老舗割烹料理店「多古安」というのもございまして、夏は鱧、冬はふぐ料理、てっちりコース2万円からとか、近所の文化住宅の家賃一ヶ月分に相当する手の届かない品々を扱っておられます。

大阪市港区 朝潮橋

多古安の店の隣にはお地蔵様もおられる。出世した時はいずれ行きたいと思いますが永遠に縁がないかも知れません。港新地のような場所があったという土地だけに、このようなお店が生き残ってるのではないかという事も考えそうになる。ミシュランガイド2つ星ですか…はぁ…

大阪市港区 朝潮橋

で、夕凪中央商店会を外れた西側にちらほらと古びたスナックの店舗が残っているのが見える。港新地は売防法施行後に早々と消えてしまったようで、そもそも戦災で完膚無きまでに破壊されている街なので、戦前建築の妓楼なんてものも無し。

大阪市港区 朝潮橋

戦後に出来た昭和な佇まいの飲み屋ばかりですが、まあそれはそれで情緒のあるものかも知れん。場末もええところやけどな。

大阪市港区 朝潮橋

飛田や松島のようにあからさまな「料亭」の建物もここには残っていない。電柱に「シンチ」とか書いてあるかと思って見ても全然そんな事ないし。まあ色々とスナック店舗の残骸は見られる。

大阪市港区 朝潮橋

大阪市港区はひたすら取り残された「昭和」である。辛うじて地下鉄中央線があるので駅から近い所は新しめのマンションがニョキニョキ建っているが、本当にそれだけである。

大阪市港区 朝潮橋

そういったスナック店舗を除けばこのような昔ながらの長屋の文化住宅がずらっと残っている街並みが見られるのである。高確率で公明党のポスターが貼られているあたり、お察しの通りである。市営住宅の空き家抽選に漏れ続けるとこのような場所に住む事になる。狭いながらも楽しい我が家。新興宗教の坩堝。

大阪市港区 朝潮橋

ここで一つ、港新地の面影を残していると思しき「旅館別府荘」の建物が見られるので注目。売防法施行後に転業した「いつものパターン」かどうかは不明。外壁も綺麗に塗りなおしているし、恐らく現役であろうと思われる。

大阪市港区 朝潮橋

建物横手二階部分にある窓も年代を感じさせる木枠のガラス窓となっております。この調子だと中は結構風流そうかも知れません。大阪にお泊りの際は如何でしょうか別府荘。屋号の由来は、やっぱりご主人が別府出身だからとかでしょうかね…

現状唯一ネット上で港新地の情報を記載している「のぶログ」さんのレポによると他にも旅館の残骸はあったみたいだが、老朽化で解体されたようで、見当たらなかった。

大阪市港区 朝潮橋

夕凪地区にある地域の鎮守「三津神社」がかつての港新地跡の西側に鎮座している。祝日でもないのに立派に国旗掲揚しているのが特徴だ。江戸時代に開拓された石田・田中・八幡屋(現在も町名になっている)のそれぞれの開拓者の名前を冠した三つの新田にあった鎮守を合祀しているという歴史のある神社だ。

大阪市港区 朝潮橋

三津神社は戦災で社殿が破壊されているので、現在あるのは港新地が廃止された後、昭和40年代に建てられたものらしい。よって玉垣に港新地の面影を記すものは無し。んまあ、しょうがない。

大阪市港区 朝潮橋

あと目ぼしいものと言えば「新地薬局」という店舗が残っているくらいである。この新地とは「港新地」に他ならないだろう。色街に付き物の需要をこの店が補っていたのであろうか。

大阪市港区 朝潮橋

「港新地」は大阪港周辺が発展しだした戦前の昭和3(1928)年に芸者街として開かれたが、戦時体制下で衰退、そして空襲で壊滅。戦後も勃興期はあったが芸妓から娼妓へ、つまり「ちょんの間」状態になっていたらしい。売防法施行までには残っていた業者はみんな旅館に鞍替えしてしまったとか何とか。

ネット上での情報は「のぶログ」さんところくらいで、あまり他にも情報が出てこないし、我々もまだ港新地の歴史について把握しきれていないので気が向けば今後も調査を続けてみようと思う。


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DEEP案内シリーズ管理人。大阪ベイエリアの貧民窟育ち。独自のひん曲がった視点で街歩きを続けております。2008年より上京。関西に留まらず全国、海外に取材対象を薄く広く伸ばして来ました。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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