ここが山口組発祥の地…神戸市兵庫区西出町と震災の爪痕が残る激寂れ空間「稲荷市場」

神戸市

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神戸市 神戸 兵庫区

稲荷市場の東半分(東出町側)はイナリセンターという生鮮食品店の集合体みたいなのがあり、それぞれ魚屋や八百屋などが数店舗営業している。ここだけは辛うじて唯一昔ながらの市場の活気みたいなものを残している。

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しかしそれ以外はというと見事なシャッター街。オワコン状態が酷い。震災後に営業を辞めてしまった店舗も多く、残った店も跡継ぎが居なくなり高齢化の末に…というパターンか。同じ神戸でも東山商店街とか湊川公園のあたりはめちゃくちゃ流行っているのに、この違いは何だろうね。

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そんなシャッター街な市場を抜けると、その頭上には「稲荷中央商栄会」の表記が残されていた。こちら側はかなり建物の古さが見てとれる。

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その脇に残る商店の残骸も、看板が取り払われ元々何の店だったのか判別もできない状況。あの20年前の震災の揺れは凶悪で、このような古い木造建築の場合、破壊されるか否かの分かれ目はそれこそ紙一重だったのだろう。

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稲荷市場はこの先にも続いているが、ここからは様子が違っておりアーケードが取り払われている上に仮設店舗のようなプレハブにそれぞれ商店が入居している光景へと変わる。

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東日本大震災の被災地でもこのような形の仮設商店街が津波で破壊された街のあちこちに出来ていたのを見たが、阪神大震災から20年が経過した中で、このようなプレハブ商店街が残っているのはさすがに神戸の中でも少ないのではないだろうか。

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アーケードが撤去されたのは2012年のことで稲荷市場の中でも東側3分の1、「南栄会」に属する部分。再開発を前提にアーケードを撤去し、残された空き地には戸建住宅を建てるなどするという。

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この部分も確かに空き地だらけで、なんとも寒々しい姿を晒したまま長年経過している様子が見られる。

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そんな「南栄会」の東端部まで来ると、唐突に食欲をそそるホルモン焼きの匂いが漂い始める。安くてうまいホルモン「中畑商店」である。やはり昭和の労働者の栄養源と言えばホルモン焼き。神戸というよりは大阪の下町の雰囲気すら漂っている訳だが…

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ホルモンは店先でも買えるが、中で食っていく事も出来る。よく見れば店内はチューハイ片手にホルモン串にがっつく客の姿が見られる。神戸なのにいきなり西成スタイルですか…胃袋に余裕があれば絶対食ってたけど、今回は間が悪かったなあ。

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ホルモン屋のそばにはお好み焼き屋「ひかり」もございます。通常のお好み焼きや焼きそばだけでなく、お好み焼きの「海苔巻き」が隠れた名物となっている店。隣のホルモン屋同様、稲荷市場B級グルメの二大巨頭か。

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アーケードの撤去によってあんまり市場の入口らしさも無くなった稲荷市場の東端部。お好み焼き屋の真向かいは地元の子供も集まる駄菓子屋で、これもプレハブ建てになっていた。

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稲荷市場の端まで来ると、稲荷市場の名称の由来ともなっている「松尾稲荷神社」というのがある。商売繁盛・恋愛成就というのはまあ普通なんですが「ビリケン様がいる」神社らしいんです。本当にここは神戸なのであろうか。大阪の飛び地じゃないだろうな。

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「ビリケンさん」が鎮座する松尾稲荷神社。大阪の通天閣にいるビリケンさんは三代目の真新しいものだが、ここにいるのは大正時代に作られた年代物。実は大阪を除けば神戸の稲荷市場付近にしか居ないものらしい。

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稲荷市場の歴史は大正時代にまで遡り、まずここにある松尾稲荷神社の参詣路として市場が開けたのが始まりで、山口組がこの土地で港湾労働者の荷役人夫業として興ったのもこの頃である。戦後には稲荷市場の南側に引揚者が集まり「南栄会」が発足、高度経済成長期には川崎重工や下請けの造船所に勤める労働者世帯が暮らす下町として栄えた。

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