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忘れ去られた神戸の下町!兵庫区「平野商店街」とその周辺の激渋っぷりは異常

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「B面の神戸」などと称される神戸の下町、新開地が属する「神戸市兵庫区」や隣の長田区界隈には神戸という街が常々他地域の人間に先入観を抱かれている「オシャレな街」といったイメージを根底から覆す下町庶民文化がゴロゴロと転がっている。しかし今回お伝えする兵庫区の「平野商店街」がある地域は、新開地と長田だけを見て神戸の下町を知った気になっている人間に新たな衝撃を与えるだけのものが眠っていると個人的には確信している。

まず、今回の目的地である兵庫区平野地域へ向かうには、最寄りにJRや市営地下鉄の駅がないので、三宮・神戸両駅から市営バスに乗るか、徒歩で行く事になる。せいぜい最寄りは地下鉄西神・山手線の大倉山駅くらいだが、湊川公園の先から伸びる東山商店街だとか、かつての「ゆきゆきて、神軍」のアナーキスト、故・奥崎謙三邸や元少年Aが一時期収監されていた神戸少年鑑別所の前を通る有馬街道(国道428号)をとことこ歩いても辿り着ける。

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平清盛推しが半端ない神戸の平野商店街

有馬街道平野交差点。ここが平野商店街などに面する街の中心地という事になる。平野バス停が最寄りにあるが、鉄道駅はなく、目印になるのがこの土地にゆかりがある平清盛の銅像。今から840年も前の平安時代末期の「福原京」が有名で、神戸にも一時期日本の首都を作る計画があったというお話で、今となっては別の福原が名所になっちゃってますが、周辺には祇園神社や平清盛の私邸跡という「雪見御所跡」なんかもあるし、とにかく福原京があったのはこの辺らしいです。

ともかく平清盛ゆかりの郷という事で推しが半端ない地域であるが、住所で言うところの兵庫区平野町というのはここから有馬街道を山の方に入っていった先の地域で、麓にあたるこの界隈にある下祇園町、上祇園町、下三条町、上三条町、雪御所町、湊山町といった町域をひっくるめて「平野地域」と捉えるのが正確なようだ。山の麓で平野部でもないのに何故か「平野町」と地名がついているのも、地名の「平」が平清盛から来ているのか?と想像してしまいそうになる。

平清盛をデフォルメした上に兜の立物が平野の「ひ」になっている、いかにも狙ったような土着キャラクター「きよもん」推しも激しい。「ゆるキャラ」という言葉を生んだみうらじゅんにも全然気づかれなさそうなローカル過ぎる地域の忘れ去られたキャラである。ツイッターアカウントもあるのに2016年10月以降更新がない。高齢化著しい街でこのような町おこしは孤立無援状態となりがちだが、是非とも中の人にはめげずに頑張って欲しい。

この平野商店街は戦後の昭和23(1948)年に前身となる商店会が発足し、昭和38(1963)年に現在の平野商店街振興組合に改組されてから現在に至る。かつて走っていた神戸市電平野線の終着駅でもあり、その時代の栄華を匂わせる、まさしく昭和の時代そのままの佇まいが今でも見られる。

昭和43(1968)年に神戸市電平野線が廃止されて以降、この街の発展はすっかり止まってしまった、当地を訪れると非常にそのような印象を感じる。東京に例えるならトロリーバス廃止後に取り残された江戸川区のベルタウン松江商店街に通ずるものがありますけども。喫茶店「エルデ」の看板も渋すぎてぐうの音も出ません。こちらは2015年に廃業しており、入店は叶わず。

しかし近年は人口減少時代に少子高齢化で、首都の東京ですら鉄道の通っていない地域はシャッター街化を免れない状況で、ましてや政令指定都市の中で市民の人口減少が激しい神戸市の鉄道不毛地帯の商店街なんかは、この通り昭和30年代あたりで完全に新陳代謝が止まっているのである。

それでも平野商店街には店主が高齢ながらも現役で踏ん張っている個人経営の八百屋だとか惣菜屋だとかがちらほら店を開けていて、そこで買い物している客もみんな高齢者、という日常風景が拝める。

崩落注意!準廃墟状態の昭和のマーケット「平野市場」もエグい

平野商店街のうち、平野交差点の南東側、下祇園町に属する一画は商店街と一体化している「平野市場」という土着のマーケットになっている。しかしこの平野市場、昼間でも中が真っ暗で、どう贔屓目に見てもオワコン状態としか言いようがない惨状を見せている。

一歩足を踏み入れると中はこの通り。準廃墟状態と言っても差し支えない。それもそのはずで、ネット上で情報を調べると既に2010年10月の時点で「平野市場が63年の歴史に幕」というニュース記事が出て来る。跡地はスーパーになるとの事だが、それは平野市場の北東側に建てられた「トーホーストア平野祇園店」であると見られる。だが、スーパーに建て替わった部分以外はこの通り、廃墟のままほったらかしにされているのだ。

閉鎖されたはずの平野市場だが、現在も一部の廊下には電灯が点いた状態になっており、近隣住民の生活道路として辛うじての役割を留めているようだ。

しかし廊下の大半は明かりすら付いておらず、中には天井や店舗の一部が崩落してしまっている危なげな一画も見られる。平野市場のかつての店主達はみな高齢化してしまい、商売どころか市場を取り壊す金すらもなかった、そういう現実がもたらした厳しい光景なのだろう。

その一方で平野市場には一部閉鎖されずに細々と商売を営む店舗も残っている。中華まんや台湾ラーメンなどを売る、カウンター席が僅かしかないこちらの「平野ラーメン 廣林店」。恐ろしくマニアックな佇まいをしているが、神戸という土地はこんな場末感極まりない廃墟市場の片隅にまで中華まんを売る店があるほど、華僑(中華街)の影響が強いということだろうか。

さらには「フライと肉の店 はしもと」なる、ソウルフード感全開な店も現役である。揚げ物各種を専門に扱う神戸の下町らしい店であるが、ここも周辺住民の生命線として、閉鎖された市場の中で今も役割を背負い続けているのか。

そんな真っ暗の市場の廃墟で目にした、平野商店街・平野市場共通「うきうきカード」のPR垂れ幕に描かれたお猿さんのイラストがなんとも物悲しさを誘う。どこかしら80~90年代感漂うファンシーなデザインですね…

廃墟状態の平野市場の廊下を抜けて建物の南側に出る事ができる。「祇園の里」と壁に書かれたテナント跡はかつてどんな店が入っていたのか見当も付かない。そして頭上には今にも風でも吹けば落下しそうな建物の構造体がぶらぶらと揺れている。恐らく20年以上前の阪神大震災のせいではない。長年放置されてこうなったのだ。

そんなオンボロ市場の片隅に謎の落書き「さしみ徘徊」とは…

市場の裏手の路地にそびえる4階建てのコンクリート建築には「平野会館」と書かれたプレートが掲げられていた。地域のコミュニティセンターみたいなもんでしょうか、それとも閉鎖した市場の事務所か何かだったんでしょうか、ともかく使われている様子もなく、てんで人の姿がない。

ちなみに平野会館というのは現在別の場所に同じ名前の建物があるので、そっちに引っ越したと見るべきだろう。それにしてもプレートに刻まれている文字の旧字体っぷりが歴史を感じさせる。

神戸平野の激渋昭和食堂「伊勢屋」が気になる

この廃墟市場を越えた南側にもちらほらと個人商店や薬局なんかが申し訳程度に営業しているのだが、そこで見つけた一軒の食い物屋が見た目にも凄まじい。「伊勢屋」という大衆食堂なのだが、戦後すぐに建てられたようなアパート然のあばら家のような凄みのある建物で未だに現役で商売を続けている。

とは言っても既に食べログあたりで15件もレビューが付いていたり、神戸のガチ昭和食堂マニアにはそれなりに知られた「迷店」であるようだ。ラーメンにうどん、丼物一式を扱っている。メニューは全て500円以下で儲けは度外視、店主の気合だけで保っている奇跡の昭和空間と言える場所か。

平野地域には湊山温泉という隠し湯もございます

ちなみにこの界隈、湊川沿いに登っていくと「湊山温泉」なる土着感MAXの温泉施設が存在しており地味に名所となっている。昭和13(1938)年に開業し80年近い歴史がある温泉施設だが、早朝5時から営業中で源泉掛け流しという、近所の住民が羨ましく思えるような場所である。

実は2015年に一旦閉鎖が決まっていたが、この温泉に惚れ込んだという静岡県の会社(伊豆高原ビールの社長)が出資し新会社を起こし一転存続することになった、という事情があるそうだ。ともかくとんでもない隠し玉の連続でしたね、神戸の平野地域…


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DEEP案内シリーズ管理人。大阪ベイエリアの貧民窟育ち。独自のひん曲がった視点で街歩きを続けております。2008年より上京。関西に留まらず全国、海外に取材対象を薄く広く伸ばして来ました。2017年6月15日に単行本「『東京DEEP案内』が選ぶ 首都圏住みたくない街」(駒草出版)を全国発売。首都圏を中心に飛ぶような売り上げを記録し増刷決定。
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