【吹田市】JR岸辺駅前にそびえる昭和の残照「駅前バラック飲食街」を鑑賞する

吹田市

大阪と京都の間を時速130キロでぶっ飛ばす新快速電車で繋ぐJR西日本ご自慢の在来線「JR京都線」は、京阪神屈指の通勤の大動脈として機能している一方、新快速や快速電車の止まらないローカルな駅にはまだまだ知られざる風景が残されている気がしなくもない。そんな中でとある方からのタレコミで「JR岸辺駅の近くにヤバイ物件がある」という情報を知った。

岸辺駅…それは大阪市の右上にある大阪府吹田市に所在するJR京都線の駅である。大阪駅から4駅、新大阪駅から僅か3駅という都心からの近さの割には、イマイチ駅前が栄えていない、マイナーな存在に甘んじている。有名な出身芸能人が「8.6秒バズーカーのはまやねんと田中」という時点でお察し下さい、的な土地である。住所は吹田市岸部(岸部北・岸部中・岸部南・岸部新町)だが、駅名は「岸辺」。

吹田事件とラッスンゴレライの地元・それが岸辺です

ネット上では反日疑惑が尽きない「ラッスンゴレライ」的なバズーカや北朝鮮のミサイルどころか各停電車しか止まらないローカル感漂う岸辺駅にやってきました。駅舎自体は2012年に橋上駅舎化された時に建て替えられ、真新しくピカピカなので印象は悪くないが、駅前は郊外的な広い駐車場とスパ銭の付いたモールがあるくらいで、街並み的な見所にも欠ける上、駅の南口は阪急京都線の正雀駅とも非常に近く、安威川を挟んだ南側は大阪市最北端の街、東淀川区井高野にも接している。

そして岸辺駅の北口と南口の間を繋ぐ橋上駅舎から外を見れば、この通り、だだっ広い線路用地しかない。在来線に加えてJR貨物の吹田貨物ターミナル駅(旧吹田信号場駅)もあり貨物線の線路も重なっているので、随分と殺風景で、鉄ヲタくらいしか喜ぶ要素がないのだ。東京で言うところの尾久的な立ち位置の街であろうか。

特にJR岸辺駅の北側には昭和27(1952)年の朝鮮戦争時「吹田事件」という、学生や在日コリアン等による暴動事件が起きた事でも知られる、広大な面積を誇る旧国鉄吹田操車場跡地が更地状態となっており、目下のところ再開発事業が絶賛進行中である。これが完成すれば駅前が大化けする可能性もなくはないが、とりあえず逆側の南口に今回お伝えする「ヤバイ物件」があるのでこちらへ。

岸辺駅前一等地にバラック廃墟酒場があるんですけど…


正直言って岸辺駅の南側で見所となるのはこれしかないので、とっとと紹介しよう。駅ホームからも丸見えになっているこちらのオンボロバラック建築群だ。平屋建てか二階建てになったトタン葺きの小汚い建物が8軒連なっている。どこからどう見ても「駅前一等地に戦後のドサクサで建てました」と主張している。

JR岸辺駅南口から線路沿いに京都方面寄りのところに連なる、僅か50メートルばかり残された、廃れきった飲食店街、それがどのような経緯で出来たものなのかは定かではないが、駅周辺にまともな商店街すら見当たらない、この駅前では数少ない酒呑みの拠り所だったのかも知れん。

一部の建物は未だに人が生活している様子が窺えるが、あとの大半の建物は見るも無残な廃墟と化しており、長年人が立ち入った形跡が見当たらない。バラック建築は線路沿いに一列に並んでいるだけで、すぐ裏手は吹田市営の有料駐輪場となっている。

駅方向から順番に件のバラック建築群を一つずつ観察していくことにする。まず駐輪場入口に面した一軒目が大衆酒場の残骸である二階建ての廃屋で、ここはストリートビューで2010年当時の状況を見ると「居酒屋のんちゃん」という酒場が営業しているのが確認できた。店舗横手から伸びる二階への階段も見ての通り崩落寸前。

続いて、二軒目には人が住んでいるらしい二階建ての家屋、そして三軒目に来るのが「一品・酒・軽食 山茶花」と書かれた跡がかすかに残る飲食店の廃屋、四軒目は外壁がサイディングボードで覆われており住居ではなさそうだが倉庫か何かに使われている平屋建ての家屋、といったところ。

さらにキョーレツなのが五軒目のトタン葺きで覆い隠された建物の上半分が恐らく崩壊してしまっている何かの店舗の残骸である。次の六軒目も二階建ての廃屋だが軒先から臭突が伸びているのが特徴的である。トイレは恐らくボットン便所だったろう。

次の七軒目で割とまともな造りの平屋建ての喫茶&スナックの店舗が現れる。ここは廃業しているのか現役なのか見た目には判断しづらいが、看板に記された屋号は「COFFEE & SNACK 屯愚里」。

海千山千の珍走団風当て字店名を付けるスナックは数あれど、屯愚里と書いて「どんぐり」は岸辺駅前だけである。このどうしようもない駅前一等地の場末極まる空間をここの名付け親の店主はさぞかし「愚か者が屯する里」とでも表現したかったのだろうかね。

そして最後の八軒目、左端の店舗に「ザ・駅前一等地で戦後のドサクサ」物件の王道たるコリアンバーベキューもとい焼肉・ホルモン専門店が現れるのだ。こちらの「かねよし」という焼肉屋、店の赤いテント屋根は綺麗なまま保っているが、どう見ても営業している様子がない。鶴橋駅前なら入れ食い状態なのだろうが、今時こんな何もない駅前では商売にならんか。

焼肉かねよしの看板もこの通りそのまんま。昭和風情全開で渋いったらありゃしない。

焼肉かねよしから先は一旦建物群が途切れて、その隣から再び有料駐輪場の入口が現れる。

さらにその隣から自転車と歩行者のみが利用できる地下通路が通っていて、長い線路で隔てられた岸辺駅の南北を行き来することが出来る。岸辺駅が橋上駅舎化して自由通路ができる以前は、ここが駅前で南北間移動が可能な数少ないポイントだったわけで、岸辺駅ユーザーはこれまで長い間不便極まりない思いをしてきたはずだ。

岸辺駅前バラック飲食街は車両の通行を妨げている

ところで件の駅前バラック酒場が建っているあたりだけ、道幅が狭くなっていて車のすれ違いが出来ないので、車で通り掛かる場合はこの通り、対向車が来たらバラック家屋の手前で待機させられる羽目になる。余所者はやれ昭和の残照だノスタルジックだと喜びはすれども、岸辺駅を利用する地元民にとってはただただ邪魔な代物でしかないのだ。

先にも触れたが岸辺と言えば戦後の「吹田事件」の舞台であり、朝鮮半島で旧ソ連軍が支援する北朝鮮軍と対峙する国連軍(米軍)に軍事物資を送る貨物列車の運行を妨害するべく当時の国鉄吹田操車場に集まったのが北朝鮮支持派の学生や共産主義者、それに在日コリアンだったという所から、この土地と在日コリアンの存在に何かの因縁を感じずにはいられない。

その歴史を刻んだ操車場も姿を消し、駅前再開発が終わって綺麗に生まれ変わった頃には、過去の事実はいずれ忘れ去られるのである。恐らくはこの駅前バラック酒場と共に…



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