パナソニックの企業城下町だった…大阪府下最悪の貧困が襲う街「門真」を歩く(2011年)

門真市

大阪・京橋から京阪電車に乗って門真市にやってきた。門真市は大阪近郊にある都市で、市の面積は大阪市内の区とそれほど変わらない小規模な自治体ではあるが、これまで松下電器(現パナソニック)の企業城下町として栄えた工業都市でもある。

常々大阪は商売の街やと言われてきた事だが、戦前に「東洋のマンチェスター」などと持て囃された当時から大阪はずっと工業都市なのである。そしてその社会の底辺を支えてきたのが大阪市内や門真なんぞに住んでいる工場勤めの庶民である。

高度経済成長期に合わせて地方から沢山の労働者が大阪へ移住し、バブル期以前まではうまく歯車も廻っていたが、それが工業衰退により失業や収入減に見舞われ、大量に建設された市営住宅の住民が高齢化し次々生活保護を申請する大貧民国デフレスパイラルの様相を呈している。

とりわけ企業城下町だった門真の地盤沈下は著しく、工業の海外シフトや不況の影響で地域経済は衰退、さらに当時の労働者移民が一斉に高齢化し国保や生保といった福祉予算で首が回らず市政を圧迫し続けている。

もう3年以上前の事だが、パナソニック工場に隣接する門真市役所をたまたま訪れた時に国民健康保険窓口に凄まじい数の老人が群がっていたのを目撃した。国保料の減免手続きを行う為に80人以上の行列が出来ていたのだ。待ちきれずにキレだす爺さんが居たりとかなり殺伐。門真市の国保収納率は全国最低の75%(2007年)、市民の平均所得は府下最低の311万円(2004年)、生活保護受給率は100人に4人という紛れもない大阪府下トップクラスの貧困地域である。


そういう事情を踏まえて門真の街をがっつり歩いて見てみようと思った訳だ。京阪電車の駅を降りると目の前は市営住宅「新橋団地」。松下電器の企業城下町として本格的に人口集中しだした時期に建造されたもので、古臭さが際立つ。

市営団地に隣接するショッピングモールは笑える事にサラ金業者の巣窟と化していた。大手4社が同じビル内に揃い踏み。よほど門真の街には良質な顧客がおられるのですね。

さらに道路の向かいにはギラギラとネオンを轟かせるパチンコ屋がデーンと建っていた。サラ金・パチンコ・市営住宅、これぞ貧困地域三連コンボ。工業都市としての経済は停滞したが貧乏人からカネを巻き上げる経済はしっかりと生きている。市政を苦しめる福祉予算の多くもこういった場所に流れているのだろうな。

のっけからビンボー臭さが際立つ駅前風景だが、まずは門真市駅から隣の西三荘駅近くにある本町界隈を目指す事にした。

ひとまず途中の街並みも合わせて眺めて行く事にする。京阪門真市駅の西側を南北に走る大阪中央環状線のガード下を過ぎると目の前にはホテルの立て看板。

駅前には大型のマンションなどもあるが少し離れると門真ならではのボロ木造住宅が密集する下町風景が現れる。潰れたお好み焼き屋が1階に入っているこの木造二階建てアパート、オンボロ具合が凄まじい。いわゆる「文化住宅」の走りであろうか。

文化住宅という呼び方は大阪独特のもので戦後の住宅困窮期に建てられたアパートを「人が文化的に生活出来る住宅」という意味合いで呼んだものだとか様々な説がある。戦後間近の頃は国民総ホームレスで橋のたもとや廃棄されたバスの中だとかで暮らしていた訳だから、それと比較すれば確かに文化的っちゃ文化的な訳だ。

門真駅西側、栄町あたりの街並みの煤けっぷりも、貧民街の雄・西成区あたりで見る風景とさほど変わらない。松下電器の関連で働く工場労働者の移住が盛んだった頃に次々作られた文化住宅だらけの街並みがそのまま残っているのである。

狭い路地が続く中にぽつりぽつりと商店街の街灯が置かれている。寂れ方が半端ない「栄町商店街」。しかし商店街というよりも居酒屋とスナックばっかりなんですが、基本的に呑んだくれのアル中にしか需要がないという事だろうか。

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