枚方にもあった遊郭!知られざる大人のひらパー「桜新地」跡を訪ねる

枚方市

大阪府枚方市と言えば京阪沿線のベッドタウンで、老舗の遊園地「ひらかたパーク」なんかもあって関西人には非常に馴染み深い場所だったりするのだが、この街にも昔の遊郭跡が残っていると聞いた。言うなれば「大人のひらパー」といった存在である。

大阪(京橋)から京阪電車に揺られて片道20分そこそこ、枚方公園駅で下車する。街の中心であり特急停車駅でもある枚方市駅の一つ手前。ひらかたパークをご存知であれば馴染みのある駅であろう。

駅前の商店街には枚方市生まれのローカル企業「恩地食品株式会社」の広告が一面に貼られていてやたらと大阪ローカル臭を漂わせている。ここから徒歩5分くらいの場所にひらかたパークがあり週末は行楽客で賑わうが、平日昼間にやってくると非常に閑散としている。

気になる遊郭跡というのは、枚方公園駅から線路を挟んで西側、住所で言うと枚方市桜町に所在している。「桜新地」と呼ばれていた遊里で、淀川水運の中継地で京街道の宿場町だった枚方宿の外れにあたる。ここから近い京都府側の橋本遊郭も雰囲気的に近いですわな。

そんな道中に「桜湯」という廃業した銭湯の建物がある。遊郭跡には付き物の物件だが、いつ頃廃業してしまったんでしょうか。


遊郭は当初宿場町の中にあったものが明治42(1909)年に町外れだったこの場所に移転させられたという。「くらわんか舟」で有名な古い宿場町の風情は辛うじて残ってはいるもののあちこちフツーの一軒家に建て替わっていたりして、あまり観光目的でやってくる客もなさそうな感じ。

どうやらこの辺がかつて「桜新地」だった場所らしい。昭和33(1958)年の売防法施行で歴史の幕を閉じたのは橋本遊郭などと同じだが、橋本ほどではないにしろ何軒か当時の妓楼や赤線跡臭い建物が残されている。

用水路跡に架かる橋のたもとにそびえるこのお宅、レンタルビデオチェーン「TSUTAYA」の増田社長のご自宅だそうです。社名は社長の祖父が経営していた置屋の名前が「蔦屋」だった事に由来していて、さらに「蔦屋」の屋号の由来となった「蔦屋重三郎」という江戸時代の版元も生まれは江戸の吉原遊郭という、何とも深い因縁を感じさせる。

用水路の橋の下には「水面廻廊」とかいう妙な親水歩道が整備されている。農業用水路だったのをお役所仕事的に弄った感じのなんとも興醒めしそうなコンクリート護岸の遊歩道となっております。

橋の向かいにもなんとも重厚感漂わせる曰くありげな建物が残されている。かつての遊郭跡の「枚方検番」として使われていた建物である。

さらに検番跡の建物と棟続きになったもう一つの玄関口もやたら怪しげ。とりわけ玄関横のアールの意匠がやたら気になる。この右側にも廃業した寿司屋「壽恵廣寿司」の店舗が連なっている。

アールの曲面に沿って4つ並ぶ嵌め殺しの窓には世界一著作権にうるさいネズミの国のキャラクターステッカーがベタベタ貼られていた。

検番跡の建物を用水路側の脇道から見ると「枚方検番」の四文字が書かれた古びた看板が掲げられていて、ここが確かに検番跡であった事を示している。事務所か何かに使っていたようだが、勝手口の開き戸の横にも「寿恵廣別館」と書かれている。寿恵廣という屋号の置屋だったんでしょうかね。

検番跡の建物を裏から見るとこんな感じ。しかし至る所に出入り口がありますね…元々の使われ方を想像するとさもありなんな感じですけれども、残念ながら現在この建物は解体されてアパートに建て替わってしまった。この写真は2012年9月に撮影したものだ。

という訳で今回の枚方遊郭跡見物、建物はそれほど残っていないのが正直なところだが、それより「TSUTAYA」が枚方の遊郭発祥だった事が一番の驚きであった。


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