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戦後の残滓・大阪天満「樋之口町」バラック村 (2)

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大阪市北区樋之口町、大川沿いに残る戦後のドサクサ物件。いまだに低層住宅群が細く入り組んだ路地に重なっている光景が見られる。それは戦後に作られた土建業者や砂利採取業者の飯場の名残りだと聞いた。
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平屋建てボロアパートが並ぶ細い路地を抜けるとそこは突き当たりではなくさらに左に折れて路地が続いていた。その先に行くともう一段と趣深い家並みが姿を現す。


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路地の一番奥にあったのは「山本ニット」と看板を掲げる小さな町工場だった。ニットというからには縫製工場だろうか。正月休みで営業してなかったので稼働中の光景は見られなかった。
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山本ニットの工場に隣接して平屋建て家屋が続く。壁も屋根もオールトタン葺きという今どき珍しいくらいのDIY建築。区画整理といった言葉からは完全に縁遠い風景である。
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実は先程通ってきた路地の途中からも同じ場所に抜ける事ができた。物凄くわかりづらい細い脇道である。ひとたび火事でも起きたら避難するのはかなり難しそう。
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こっち側の路地から出てくると向かいの民家の塀が凄まじくアーティスティックで笑える。どこぞから拾ってきたタイルを適当に張り合わせてみましたという感じのDIY空間。なんということでしょう。
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黒のタイル、白のタイル、うぐいす色の豆タイル…規則性は全く感じられない。個人のセンスだけで貼りつけられたと思われるタイル群は所々剥がれ落ちていて年月の経過を感じさせる。
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そんな香ばしい路地の先にもまだまだ道が続いていた。今度は大川河川敷に向けてなだらかな下り坂になっている。そこにも民家の玄関口がある。
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川に近づくにつれガラクタ置き場や廃屋が現れ始め、路地はさらに荒廃感が増す。
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その隣のオンボロ平屋建て木造民家はとっくに家の主がいなくなってしまったのか玄関側の一面をベニヤ板で塞がれ「立入禁止」の張り紙が貼りつけられている。
張り紙の主は「大阪府西大阪治水事務所」…これを見れば一発で分かるが、つまりここは本来なら河川用地で、この土地の住宅街が戦後のドサクサで作られた不法占拠物件であるという事を裏付ける。
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大川河川敷に近い側の家屋は既に立ち退いたか住民が居なくなったかして生活の匂いがしない。きっと取り壊される時も近いだろう。それにしても戦後65年間よくこれだけの物件が残っていたよなと感心。
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駐車場入口がある北側の路地からも河川敷に出る事が出来る。こっちの路地も川に向けてなだらかな下り坂になっている。恐らく個人が舗装したと思しき脆いコンクリートが敷き詰められているだけ。
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河川敷に出るとあちこち緑色のフェンスで遮られているが、これらも全て河川用地として押さえているものだろう。もし行政が公園や遊歩道を造るにしても残るバラック民家が全て立ち退かない事には何も始まらない。
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しかしこのバラック家屋とタワーマンションの対比は何度見ても凄いな。
住友不動産もこんな土地に不釣合いなモンぶっ建ててえらいバクチやなあと思うが。地上45階建て、部屋数649で大阪市内最大級らしい。夏には部屋から天神祭の花火が見えるし周囲に高層ビルもないので眺望抜群だと売り込んでいるようです。

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DEEP案内シリーズ管理人。大阪ベイエリアの貧民窟育ち。独自のひん曲がった視点で街歩きを続けております。2008年より上京。関西に留まらず全国、海外に取材対象を薄く広く伸ばして来ました。
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