両側をびっしり並んだ石灯籠の間を進む。見るからにごつい寺である。境内もごついのだが。
寺なのだが入口にはなぜか大きな鳥居がある。ここが神仏混合の寺だということを意味している。
境内に入るなり見える図を見てこの寺の巨大さを思い知る。
鳥居から奥の院までジジババの足ならば15分以上はかかるだろう。
本尊は不動明王で、本来は商売繁盛祈願の寺だが、境内は信仰のデパートと思える程に色んな神様仏様が祀られている、なんでもありの状態。そもそも宝山寺新地のようなものが目の前にある段階で「なんでもあり」なのだが。
それもそのはず、宝山寺は「現世利益」の寺。信仰の場においてありがちな禁欲的な要素は全く無い。己の欲しいものを願え、そんなスタンスである。
そんな寺なゆえに、絵馬を見るとユニークである。銭が欲しいなどとまるで信州飯田「貧乏神神社」顔負けの願い事が書かれている。いやはや凄い場所だな。
明治時代以降、宝山寺があまりに賑わい、ケーブルカーまで敷設される程のものだから、当時からよほど関西人というのは「現世利益」というものにとっつきやすいのだろう。現在では徹底した現世利益主義の某法華教も「常勝関西」などとのたまわれるくらいに大阪民国に流布されているわけだが。
奈良で神社仏閣巡りと言えば、どうしても奈良公園周辺や飛鳥だとか橿原神宮、長谷寺や室生寺あたりが出てくるが、今の時代になって生駒聖天はあまり観光客で賑わっていない。あの寂れきった旅館群がそう思わせるのだろうか。往年の賑わいを失ったように思えた、現世利益の寺。
しかし見た目には凄い寺なんだけどな。個人的には奈良観光の定番コースの一つに組み込んでもいいくらい。
断崖絶壁の上に観音様が立っている所なんて、特に萌えます。
しかし、観音様の前まで近づくことは不可能だった。
奥の院へと続く道には、お地蔵様がびっしり並んでいる。
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