また例年と同じように年越しは大阪に戻ってきた訳だが、毎回宿泊する場所は天王寺、阿倍野、西成の界隈となっている。
東京のキ●ガイみたいな電車の混雑を日常的に経験すると、大阪の御堂筋線に戻ってくると凄まじくゆとりを感じるのだ。同時に、安心した気にもなる。つまり、それだけ東京が異常すぎるのだ。
御堂筋線で天王寺駅のホームに降り立つ。梅田から天王寺までの区間は大阪でも最も早くに地下鉄が開業した区間だ。
大正時代以降の近代化で大阪が日本で最も賑わいを見せていた時代に当時の最新技術で掘られた地下鉄だ。天王寺駅のホームは、その広い天井といい、その天井の照明の形といい、大阪ならではの昭和レトロの美しさを見せる。
ちなみにこの駅は昭和13年に開業している。
地上へ上がると、そこはまたいつもの風景だ。天王寺駅周辺は古くから奈良・和歌山方面へのアクセスの主要ターミナルとして発展して来た。しかし辺りを見回せばホームレスや売春目的で集まる胡散臭いオバハンが歩き回っているのは昔も今も変わらない。
駅前の高架橋から見下ろせば、そこには「南海天王寺支線」が廃業15年を迎えるにも関わらず未だに線路がそのまま残っている。かつては大阪最強DEEPゾーン「飛田」や「三角公園」の脇を抜け天下茶屋に至る路線だったが今ではこの通り。
ふと目に留まった不動産屋の物件看板。
ずっと東京のクソ高い家賃を見てきた後だったので、その家賃の安さに驚くのだが、それはいいとして、安すぎるにも程がある事に気づく。
天王寺駅徒歩圏でもワンルームなら2万円台からある。しかも敷金礼金不要の物件も多い。
天王寺界隈が「治安が悪い」と言う事を差し引いても、これだけ大阪市内の、それも都心に隣接したエリアがここまで地価が暴落している事に、危機を感じもした。
西成のドヤを月極めで借りるより全然ええやんけ。
JR天王寺駅の北口方面に行くと、これまた濃密な街並みが残っている。
駅ビルの真ん前にそびえる「サロンタイペー」はいつの時代から存在しているかも解らぬ怪しげなキャバクラ店。名前の通りコンパニオンは台湾人ばかりか、それは入ってみないとわかりません。
店の横の「女子社員募集」という書き込みも、既に歴史の重みすら感じさせてくれる風格である。「豊かな生活」という触れ込みが何とも時代を感じる。規模は小さいが味園ビルの「ユニバース」や京橋グランシャトーの「香蘭」に匹敵する戦闘力を秘めていそうだ。
とはいえボロボロですけどね。。。
しかも「フレッシュレディー」ときた。ナウでヤングどころではありません。
JR天王寺駅北側、地名でいうと天王寺区悲田院町、堀越町にあたる一帯は、駅至近であるにも関わらず凄まじく昭和の風情を残した町が特徴的だ。
何度も天王寺や阿倍野には来ていたが、何故かこの界隈だけは見過ごしていた。
まぁ確かに地味なんだけど...
そんなオールドタウンの狭間には、真昼でも日光を通さぬ闇のような商店街が...
ここは「天王寺駅前阪和商店街」。
細い路地に黒ずんだアーケード、そしていつ来ても場所を包み込む「闇」。
で、その両脇にはもう絶滅したかのような古い商店が立ち並ぶ。
大方、シャッター通りになっているのが寂しいのだが、その跡はしっかりと居酒屋になっている事も多く、夜でも人通りはそこそこある。その中で今でも元気に営業している駄菓子屋の存在が大きい。
駄菓子屋、狭い路地。凄まじく昭和な風景。
そういえば近鉄前交差点を挟んだ斜向いの「あべの銀座商店街」はとうとう再開発が始まり商店街まるごと消滅してしまった。
しかしこの場所は、再開発の話は全く立っていない模様。
ある意味天王寺駅前の最後の砦?
だがここまで濃ゆくなるともはや「九龍城砦」のノリに近くなってきた。
商店街の中にある「公衆トイレ」の小さな案内看板も素敵。
そういえば、このあたりの地名は「悲田院町」というが、なんとなく哀愁が漂う地名である。少し調べてみると、四天王寺を築いた聖徳太子が、貧しい人や孤児を救う為に建てた寺の名前が「悲田院」と言うのだそうだ。
奇しくも天王寺界隈には、行き場を失った所謂「貧しい人」が今でも沢山路上に住み着いている。悲田院を建てた聖徳太子は今の大阪を見てどう思うだろうか。






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