戦争遺跡 西淡路高射砲跡住宅 (2)
大阪市内唯一の高射砲陣地跡、取り壊しの危機
大阪市内に唯一現存する「戦争遺跡」高射砲陣地跡、それはなんと住居に使われていた。東淀川区西淡路5丁目の現場に、やってきました。東淀川区・西淡路高射砲跡住宅レポートの続編です。初めからお読みの方はこちらからどうぞ。
これが大阪市内に唯一現存する高射砲陣地跡。しかも住居。こんなものを住居にしてしまって大丈夫なのかと考えるのだが、戦争で家を焼かれた家族ばかりが居た頃、とりあえず雨露をしのげる場所があれば何でもよかったのだろう。
だがそれから62年、桜ノ宮ガード下の件といい、こういう「戦後のドサクサ」物件について法的な土地取引はきちんとやっているのだろうかと考えるが。大阪市のことだからなあ。
各戸の高射砲跡住宅には各々増改築がなされていて、電気、ガス、水道も整えられてきちんとした住居に仕上がっている。
屋上へ登る階段も自前で用意しちゃってます。DIY感全開のマイホームです。
やっぱり珍しさからここを訪れる人間も少なくはないようで、勝手に階段に登らないようにと注意書きが置かれている。
この高射砲跡住居の主も、現在は80歳を超える高齢の爺様で、戦時中は真珠湾攻撃に参加したこともあるという。(記事)
高射砲陣地跡は全部で4基残るが、そのうち一般人が通りすがりで見えるのは表の2基だけしかない。
B29の来襲に備え昭和19年にこの地に6基の高射砲台(八八式七糎野戦高射砲)と弾薬庫、指揮所を建設、そのうち高射砲台2基は1992(平成4)年にマンション建設のため取り壊された。そして残りの施設も、市道十三吹田線建設工事の予定地にあるため、ここで生活している住民も大阪市から立ち退きを迫られている。
すっかりと生活感漂う空間と化した高射砲跡住居群の庭先。戦後62年の時間の重みが感じられる。
なんだか、子どもの頃によく「秘密基地」ごっこをして遊んだ記憶を思い出してしまいました。戦後の混乱期でそんな呑気な事も言ってられなかっただろうが。その当時は食糧も物資もなかったので、使えるものは全て使う、それが当たり前だった。市営住宅も廃車になったバスをそのまま住宅に転用していたものがあったくらいだからな。(詳細)
十二角形の無骨な作りのコンクリート建築。こんなものが今でも大阪市内に残っているとは驚きである。
この高射砲陣地跡、文化財保護という観点からも取り壊さず保存をするように地元住民や市教育委員会などから大阪市に求めている。
取り壊し反対運動のため、市道建設工事は、この砲台のすぐ手前の場所でストップしたままとなっているのだ。
だが大阪市建設局によると、3年前に保存の要望があり、残すための工法を検討したものの技術的、資金的にも難しく断念した経緯があると言い、取り壊す方向で考えている事に変更はないという。
あの日本橋の「軍艦アパート」や境川の「交通局庁舎」も消えてしまったしなあ…
文化財を守るという意識がことごとく希薄な大阪市の体たらくを見ると、この残りの高射砲陣地跡も取り壊される運命にあるのかな…と思ってしまうのだ。
昭和49年の東淀川区の航空写真(国土交通省)
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大阪市東淀川区
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